時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

服飾文化破壊活動の中心はイエズス会?

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。昨日扱いましたイルミナティーの服飾文化の破壊計画につきまして、読者の方から、ファッション産業界には、むしろユダヤ人が多いとの指摘がありました。本ブログにて、私は、再三にわたり「イルミナティーは、「黒いユダヤ人」の国際組織である」と述べておりますので、その読者の方は、イルミナティーによる服飾産業の破壊活動は、自己破滅となることから、イルミナティーがフランス王室を滅ぼした目的に関する私の推測は、間違えではないか、ということのようです。
 
そこで、反論といたしまして、‘ユダヤ人’には、「白いユダヤ人」と「黒いユダヤ人」があり、ファッション・服飾・宝飾業界には、比較的に「白いユダヤ人」が多く、「黒いユダヤ人」には、聖フランシスコの思想に代表されるような服飾文化否定思想者が多いという特徴があることを指摘させていただきます。
 
フランス映画の『シェルブールの雨傘Les Parapluies de Cherbourg』は、一見、フランス版『金色夜叉』のようなお話ですが、主人公の女性をめぐる二人の男性、裕福な宝石商のハザール氏と自動車修理工のギイ氏が、それぞれ「白いユダヤ人」と「黒いユダヤ人」を暗示していると仮定して視聴しますと、‘ユダヤ人’の世界を描いていることにおいて、興味深い映画です。
 
アシュケナージ系の「白いユダヤ人」は、ハザール系ともされておりますように、宝石商で、おしゃれなハザール氏は、「白いユダヤ人」を象徴していると推測されます。一方、服装に無頓着である自動車修理工のギイ氏は、中近東系の濃い顔立ち、そして、何故にか、子供に「フランソワ」と名付けることに、強く拘っていることから、イエズス会(フランシスコ派)の「黒いユダヤ人」を象徴していると推測されます。
 
このように、同じ‘ユダヤ人’でありながら、「白いユダヤ人」と「黒いユダヤ人」との間には違いがあり、そして、イルミナティーが「黒いユダヤ人」の国際組織である点を踏まえますと、イルミナティーが、服飾文化の破壊を計画していることは、あり得ないことではないのではないでしょうか。イエズス会士の服装は、黒の詰襟ですので、イルミナティーを構成する3勢力のうち、特に、イエズス会は、躊躇なく服飾文化の破壊活動を行う可能性があると言えるでしょう(人民服や日本の中学生の学ランの詰襟はイエズス会士の服装を想起)。ヒッピー文化も、’服’というもの自体を否定し、野生への回帰を目指した点において、その究極にあるような気がいたします。

 
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(続く)