時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

服飾文化破壊活動は精神世界の重視と無関係

  今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。イルミナティーの服飾文化を否定、もしくは、軽視する思想をめぐりまして、読者の方から、服飾文化を否定する人々は、グノーシス派など、精神世界を重視している人々なのではないか、との指摘を受けました。すなわち、お洋服は物質であり、精神は物質ではないから、精神世界を重視する思想においてお洋服は否定されてもよいということになり、イルミナティー(特にイエズス会(フランシスコ派))の服飾文化の否定の思想は、むしろ‘高尚’であると、その読者の方は、おっしゃりたいようなのです。
 
しかしながら、果たして、お洋服は物質なのでしょうか。私どもが、TVなどで映像を見る時、そして、夢などを見る時、そこに登場する人々は、皆、お洋服を着ているのではないでしょうか。このように、視覚として認識された映像としてのお洋服は物質ではないように、お洋服は精神世界の内に入るのです。このことは、「善悪を知る木the tree of knowledge of good and evil」の果実を食したことにより、善悪の判断ができるようになったアダムとイヴに対して、神様が、初めてお洋服を着せたという『聖書』「創世記The Genesis」の記述によって表現されていると言えます。神様と同じように知性や理性によって善悪の判断がつくようになった「神様志向型人類god (goddess)-minded human」の人類の出現と、お洋服の着用は同時であり、このことは、「神様志向型人類god (goddess)-minded human」にとりまして、お洋服が、如何に大事であるのかを示しているのです。
 
すなわち、イルミナティーの服飾文化破壊活動は、精神世界の重視と無関係であり、やはり、人類の非文明化・動物化・家畜化を目的とした活動であると考えてよいのではないでしょうか。
 

カトリックの総本山であるサンピエトロ寺院のシスティナ大聖堂の祭壇壁画の『最後の審判』は、イエズス会士であったミケランジェロによって描かれております。壁画の人物たちは、完成当初は、すべて裸体であり、再降臨してくるイエス・キリストの姿も、当初は、裸体であったそうです。仮に、再降臨してくるイエス・キリストの姿が裸体でありましたならば、人々は、唖然とするとともに、悲観にくれるのではないでしょうか。「人類は救われるどころか、ついに、動物化してしまった」と…。


 

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(続く)