イルミナティーが広める指導者無誤謬説
今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。昨日は、「多文化共生」社会が、現実には成り立たないことを‘人食い人種’という極端な例を挙げて説明いたしましたが、本日は、①遺伝子レベルにおける生物学上の特性・気質、②居住地の自然・人為環境、②歴史的経緯などによって生じた‘指導者無誤謬主義を容認する文化’が、大きな社会的亀裂を生むとともに、イルミナティーの世界支配の達成のための狡猾なる政策となっていることについて扱います(無誤謬とは、ある特定の人物が行った判断や思想は、絶対的に正しいとする思想)。
そもそも、人間は無誤謬である場合があるのか、否か、という問題があります。恐らく、すべての人々は、自らの胸に手を当てて、「自らの過去や現在において誤った判断をしたことはあったか、無かったか」を問うてみますと、「誤った判断をしたことは無かった」と答えることのできる人は、まずいないはずです。古代ローマには、「二度目の判断が正しい(初めの判断は、間違っている場合が多く、より多くの情報を収集し、熟慮の末の二度目の判断が正しい)」という諺がありますように、人は、判断を間違えるものであり、特に、情報不足、偽情報、情報隠匿による重要な情報の欠如による判断ミスは、当然のこととも言えます。
このように、現実には、人は無誤謬ではないことから、通常の国は、為政者の選出制度も含めて、判断ミスによって生じる問題をなるべく最小限に留めるべく制度を整えております(例えば、レファレンダムや弾劾制度など)。しかしながら、世界には、‘指導者無誤謬主義を容認する文化’があります。イエズス会の上意下達の徹底や19世紀のカトリックにおけるピウス9世の「教皇無誤謬説Papal infallibility」がその典型例ともなりますが、一般的に、独裁国家の成立には、‘指導者無誤謬主義を容認する文化’が大きく関わっているとも言えます。国民が、指導者の判断や命令を無誤謬であると信じ込めば、独裁的支配が可能となるからです。
先のピウス9世は、ローマのゲットーを開放した教皇でとしても知られます。イルミナティーにとりまして、こうした‘指導者無誤謬主義を容認する文化’ほど利用価値のある文化はありません。イルミナティーの代理人国家と推測される共産党中国や北朝鮮の独裁体制を支えているのは、‘指導者無誤謬主義を容認する文化’であると言えるかもしれません。一般的には、滑稽に見える北朝鮮の「将軍様」や、中国共産党の「習おじさんソング」は、当地に‘指導者無誤謬主義を容認する文化’があってこそ通用しているのでしょう。
このように推測いたしますと、イルミナティーが、移民推進政策を殊更に重視し、特に‘指導者無誤謬主義を容認する文化’の人々を移民として、自由主義・民主主義国家に送り込んでいる理由は、‘指導者無誤謬主義を容認する文化’を蔓延させることによって、イルミナティーによる独裁体制を成立させる計画にあるのかもしれません。
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(続く)