時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「多文化共生」はイルミナティーが考えた悪質な造語?

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。本ブログで述べてまいりましたイルミナティーの人類の非文明化・動物化・家畜化政策は、狡猾・巧妙であるだけに、こうした政策からの防衛には、理論武装が必要とされます。
 
例えば、昨今、所謂‘リベラル’な人々の間で声高に唱えられ、‘時代の潮流’化が試みられている多文化共生主義も、イルミナティーの謀略である可能性を指摘することができますので、理論武装として、以下の問題点を指摘しておきます。
 
文化の違いとは、一般的に民族単位において生じてまいります。そこで、それぞれの民族が、どのような文化を持っているのかという問題が認識されてくることになりますが、①遺伝子レベルにおける生物学上の特性・気質、②居住地の自然・人為環境、②歴史的経緯などによって、民族固有の文化が形成されてきていると言えるでしょう。
 
古今東西の民族を概観してみますと、こうした要因によって、極端な事例として人食い文化を持つ‘人食い人種’なるものが存在していることは、事実です(マゼランが、世界一周の航海の途上、フィリピンの原住民によって食べられてしまったことはよく知られており、現在でも、中国人など、人食いの風習を持つとされる民族の存在はリポートされている)。そして、食べる側が、食べられる側の生存権を否定していることにおいて、人食い文化が、特に、近現代以降において人類共通の普遍的価値として確立している「基本的権利の尊重」の侵害を肯定している文化であることは、明らかです。すなわち、人食い文化は、文明社会と対立する文化なのです。
 
このことは、世界の如何なる文化をも認め、共生するという多文化共生主義が齎す恐怖を明示していると言うことができます。仮に、人食い文化をも尊重するとなりますと、多民族共生は不可能であるからです。すなわち、非人食い文化側の人々が、生きることができなくなり、その固有の文化も失われるからです(非人食い文化を担っていた人々が、消失してしまうことから、その文化自体も失われる)。移民政策をともなう多文化共生主義は、なお危険であることは言うまでもありません。移民側に人食い文化があった場合、受け入れ国の人々は、次々に食べられてしまうのですから。
 
この結果、移民受け入れ型多文化共生社会は人食い文化となり、共食いをするチンパンジーのような動物の世界となってしまうことでしょう。すなわち、イルミナティーの人類の非文明化・動物化・家畜化という目的が達成されてしまうこととなるのです。米国映画『ジャイアンGiant』(1956年)も、人食い問題までは至らないかもしれませんが、文化の相違によって生じる受け入れ側の文化の消滅問題を扱っていると考えることができます。
 
多文化共生主義や移民政策に反対しようものなら、政府やマスコミの一部によって、差別主義者のレッテルが貼られてしまう傾向にありますが、「多文化共生」は、‘世界には人食い人種は、存在しない。世界には、一人として悪人はいない’という妄想を前提とした思想であり、現実には合致していないのです。
 

文化というものの特性、そして、国土といった単位を含めて空間は一つしかないことを踏まえますと、「多文化共生」は、現実には、結果的に移民側に極めて有利な状況が齎される思想です。「多文化共生」という言葉は、イルミナティーがその目的を達成させるために巧妙につくりだした悪質な詐欺的造語であると考えることができるのでしょう。


 

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(続く)