時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

入管法改正による日本国の”日本人街”化

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。入管法の改正による大量外国人労働者(移民)の流入が、戦前の“大東亜共栄圏”の「八紘一宇」の現出を意味しつつも、日本の拡張を意味した戦前とは逆に、今度の日本列島における「八紘一宇」状態の出現は、日本人の少数民族化、そして、実質的な日本の消滅を意味することにつきましては、昨日、指摘いたしました。
 
数十年後の日本列島は、ベトナム人、中国人、フィリピン人、インドネシア人、タイ人、ミヤンマー人、韓国・朝鮮人が跋扈し、そして少数の日本人が、あたかも二級市民のように居住している姿となるかもしれないのです。
 
そして、こうしたベトナム人、中国人、フィリピン人、インドネシア人、タイ人、ミヤンマー人、韓国・朝鮮人、日本人によって構成される社会と言いましたならば、16世紀の大航海時代に東南アジア各地につくられた「日本人街」を想起させます。江戸300年の鎖国時代を通して、当初は、日本人の居留地であった「日本人街」の住民のほとんどは、現地の人々に取って替られていたと推測することができるのです。幕末には、「日本人街」とは名ばかりで、その社会を構成する人々は、ベトナム人、中国人、フィリピン人、インドネシア人、タイ人、ミヤンマー人、韓国・朝鮮人、そして少数に日本人となっていたと考えることができるのです。
 

幕末におきまして、「日本人街」は、忽然として姿を消します。入管法の改正によって、民族雑多の幕末の「日本人街」が、150年の時を経て、そのままに日本列島に移転してきているとも言えるのではないでしょうか。


 

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(続く)