時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

『サンフランシスコ平和条約』の影にイルミナティー?

 本日も、古代史・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。イルミナティーの前身であって、その中心勢力でもあるイエズス会には派閥があり、特に、物質的豊かさのみならず、精神の豊かさや知性をも認めないアッシジのフランチェスコの思想を信奉しているフランシスコ派が、イルミナティーを構成していると考えることができます。
 
従いまして、イルミナティーは、「フランシス」、「フランソワ」、「フランシスコ」などのフランチェスコに因んだ名を好む傾向にあります。この点に関しまして、米国のサンフランシスコは、殊にイルミナティーが好む都市名であり、シカゴ市に次いでイルミナティーが重要拠点を置いていると都市であると推測することができます。
 
昨日、NHKで放送された紀行番組の『世界ふれあい街歩き』は、サンフランシスコ市を紹介しており、以下の点からこのような推測を補う内容となっておりました。
 
①サンフランシスコはヒッピー文化の発祥地である。
②サンフランシスコ市は、同性婚を法律上認める全米唯一の都市である。
③サンフランシスコ市は、南米文化の影響が強い。
④当該番組に登場してくる男性の多くが眉毛の濃く髭面の典型的“ユダヤ人顔”である。
 
このうち、本日は、ヒッピー文化につきまして考えてみましょう。
 
ヒッピー文化は、1970年代のベトナム戦争期において米国を中心に広がっております。ヒッピー文化の発生理由をめぐりましては、ヒッピー文化を通して米国内に反戦運動を起こさせることで、東西陣営の代理戦争とも言えるベトナム戦争において共産主義陣営側を有利に導くために、イルミナティーが西側諸国内に‘ヒッピー文化’を蔓延させたと考えることができます。社会・共産諸国が、イルミナティーによって作られた国々であることは、本ブログにて再三にわたり指摘している通りですので、イルミナティーは、その重要拠点を置いているサンフランシスコ市からヒッピー文化を流行らせたのでしょう。
 
この点、第二次世界大戦終結の所謂『サンフランシスコ平和条約Treaty of Peace with Japan』(1951年)が、サンフランシスコ市で締結されていることは注目されます。
 
平和条約の調印が、サンフランシスコ市で行われた理由として、連合国側内のイルミナティー勢力の策動があったと推測することができるのです。特に、連合国側にソ連邦が加わることによって、連合国諸国内におきまして、イルミナティーの影響力が増したことから、たとえソ連邦抜きの平和条約の締結でありましても、イルミナティーの策動があったと考えることができるのです。戦後日本国をその影響下に置くことを計画していたイルミナティーは、敢えてサンフランシスコ市をその調印の場として選んだのではないか、と推測することができるのではないでしょうか。
 

イルミナティーは、日本国の共産・社会主義化を計画していたのかもしれませんが、1950年代に米国で発生した反共産主義に基づく社会運動、政治的運動であるマッカーシズムMcCarthyism

によって、この計画はとん挫したのでしょう(おそらく、多くの米国民が、米国内におけるイルミナティーの勢力拡大を懸念していた結果として、マッカーシズムが起こった)。


 

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(続く)