時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

イタリア映画『山猫』もイルミナティー問題を扱っている

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。昨日、NHKのBS放送にて、『山猫The Leopard』(1963年)というイタリア映画が放映されておりました。この映画も、『ジャイアンツ』(1955年)と同じテーマを扱っている点は、注目されます。すなわち、その内容から、『山猫』も、非文明化・動物化・家畜化を目的としたイルミナティーの家乗っ取りによる世界支配計画の問題を扱っていると考えざるをえないのです。
 
『山猫』につきましては、貴族階級の没落を描いた映画と一般的には評されておりますが、その内容を分析してみますと、実のところは、貴族階級の没落ではなく、貴族の家系が巧妙に移民系の非文明最下層民に乗っ取られてゆく様を描いた作品であると言うことができます。すなわち、『ジャイアンツ』と同様に、『山猫』でも、結末は、「家名は残っても、中身は移民系の非文明下層民となる」ということになるのです。しかも、映画では、このような計画に加担している最大の人物こそが、その名門貴族の当主自身であるという設定なのです。
 
その当主が、先祖代々の貴族の血筋に拘らなかった理由は、大土地所有者と貧しい人々によって構成される社会システムを維持したいという願望にあったようです。すなわち、「オーナーと最下層民」によって構成される世界こそが、その当主が維持したい世界であり、そのためには、貴族の中身が移民系の非文明下層民になっても構わないということなのでしょう。
 
このような世界観は、本年3月24日付本ブログにて「世界のオーナーになろうとしているイルミナティー」と題して扱いました「国家(世界)には、オーナーがあり、国民(全世界の人々)もオーナーのものである。したがって、国民(全世界の人々)の財もオーナーのものである」というイルミナティーの思想に通じるものがあります。
 
すなわち、当主はイルミナティーのメンバーであって、イルミナティーの人類の非文明化・動物化・家畜化を自ら推し進めている様を描いたのが、『山猫』であると言うことができるのです。こうした推測は、①その当主の言動から、当主は仕事を厭う所謂“怠け者”であること、②当主は中産階級を嫌っていること、③映画にはお抱えの家内祭司としてイエズス会士が登場し、婉曲な表現ながらも、そのイエズス会士が、当主の一夫多妻的な退廃した生活に協力している様を映画は描いていること、④貴族のお家を乗っ取った移民系の非文明最下層民であるアンジェリカ役の女性の容姿は、中近東・アラブ・アフリカ系であること(実際に、アンジェリカ役を演じた女優さんは、北アフリカチュニジア出身)、⑤当主が金星崇拝者であること(悪魔(ルシファー)は、金星の子とされていることから、当主はイルミナティーの崇拝している悪魔(ルシファー)崇拝者である)などによっても、窺うことができます。
 
『山猫』や『ジャイアンツ』に描かれる「遊んで暮らしているオーナーと、奴隷のように働かされるその他の人々によって構成される世界」とは、まさにイルミナティーの目指している世界であり、その脅威を観覧者に伝える映画が相次いで制作されていたことになります。
 

このことは、1950年代から60年代にかけてのこの時期に、まさにその通りの世界が、現実に、社会・共産主義国家として誕生していたことなどの理由によるものなのでしょうが、深刻な王室・皇室問題、そして中間層の消滅が懸念されている今日の世界情勢を踏まえますと、『ジャイアンツ』と『山猫』が伝えるメッセージは、今日的なメッセージであるように感じるのは、私だけではないのではないでしょうか。


 

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(続く)