時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「令和」の制定過程の奇奇怪怪をめぐる仮説:「麗和」だったのでは?

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。新年号の「令和」を考案者めぐりましては、万葉学者の中西進氏が、新年号の発表後にインタビューを予定し、考案者であることを半ば公然としていたにもかかわらず、先月末となって、俄かに元号制定への不関与を表明するなど、奇奇怪怪の状況にあります。
 
「令和」は、『万葉集』を典拠としているわけですので、万葉研究の第一人者とされる中西氏が考案した可能性は極めて高いわけですが、本人はなぜか、否定し始めたわけです。「令和」の考案者は、藪の中ということになりそうなのですが、NHKのニュースで、「令和」について批評を求められた中西氏の言葉の中で、「令」が「うるわしい」と訓じられていた点が、気にかかりました。憶測の域を出ない仮説なのですが、中西氏が、政府から新元号となる2文字の漢字を依頼されて、提案した原案は、「麗和(れいわ)」だったのではないでしょうか。
 
「麗」は、「うるわしい」と訓じますので、原案は「麗和」であった可能性が高いのです。ところが、3月頃に、政府内部で、漢読みは同じでも、「麗」を「令」に変えて、「令和」を新年号となすことに決めたのではないか、と推測することができるのです。
 
では、「麗」でありましたならば、何を意味したのか、と言うことになりますと、「高麗」であると考えることができます。英語で南北朝鮮を意味する「Korea」は「高麗」のことであり、そして「和」は、「やまと」と訓じ、日本国を意味する場合がありますので、原案は、「高麗・日本」という意味であった可能性が高いのです。
 
ここで想起されるのが、主に統一教会創価学会を通してイルミナティーが進めている「高麗民主共和国連邦構想」です。かつての高麗国は、南北朝鮮地域にあった国ですので、「麗和」は、南北朝鮮と日本が、一つの国になることを予定した年号であったかもしれないのです。しかも、「麗」が上、「和」が下ですので、上下関係におきまして、南北朝鮮が日本を支配するという構図をも想定していることになります。あるいは、同国名の略字高麗の’麗’と共和国の’和’であった可能性もあります。
 
このように考えますと、提案されてきた「麗和」という原案は、日本国の安全保障、並びに、独立性において、極めて問題のある元号であったはずなのです。このことに気付いた人々があり、そこで、3月頃に「麗」の文字を「令」に変えたのではないか、と考えることができます。
 
憶測の域は出ないのですが、仮に、このような経緯があったと想定いたしますと、原案者であるはずの中西氏が、3月頃になって、突然に元号への不関与を言い出した点を説明することができます。中西氏が提案したのは「麗和」であって、「令和」ではなかったのですから。

 
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(続く)