時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

新元号「令和」を分析してみれば:日本の多民族国家化が狙い?

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。昨日、新元号の典拠となった『万葉集』巻第5に載る「大宰帥大伴卿宅宴梅花歌三十二首」の序文をめぐって、「大伴家持邸」における宴の席であると記述いたしましたが、大宰帥大伴卿は、家持ではなく、家持の父である大伴旅人(665~731年)でしたので、お詫びして訂正いたします。
 
さて、「令和」をめぐりましては、天皇を戦争恍惚師と捉えている武門の氏族である大伴氏によって書かれた序文を典拠としているという問題を昨日指摘いたしました。序文を書いたのが、仮に、旅人であるとなりますと、旅人は、征隼人持節大将軍として南九州の隼人の反乱を鎮圧し、また、「ますらを」を自称していることから、やはり武人的性格が強い人物であると考えられるでしょう。
 
「令和」をめぐっては、この他にも、多々論点があり、その一つが、宴に集まって和歌を詠んだ32人のうち、「薬師張氏福子」と「薬師高氏義通」という在日外国人、もしくは、帰化人と考えられる人物があることです。このことは、4月1日から、永住資格日本国籍を取得する可能性のある1号資格外国人労働者が入国してくることにあわせて、政府が、敢えて、4月1日に新年号を「令和」と決定させたことを示唆しております。
 
すなわち、万葉学者でなければ知らないような、あまりにマイナーな序文を典拠とするという無理をしてまで「令和」と定めた理由は、32人に外国人が含まれていることにあり、日本国の多民族国家化を狙ってのことなのではないか、と推測することができるのです。政府は、日本の古典籍を典拠とすることで、如何にも、年号の日本化を目的としているかのように説明しておりますが、「令和」に隠された真の目的はその逆であり、日本の多民族国家化であると考えることができるのです。
 
「令和」をめぐりましては、「和」が平和を想起させることから、世論としては、戦争の無い平和な時代への期待が大きいようですが、昨日、指摘いたしましたように、平和な時代とは逆に、戦争の時代を暗示させている新年号でもあると考えることができます。このように「令和」には、表向きとは逆の隠された意図が見え隠れしている気がいたします。
 
この他にも、「令和」を分析いたしますと、様々な問題点が見えてまいりますので、ここしばらく、本ブログにて扱ってゆきたいと考えております。

 
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(続く)