時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

典拠が示唆する新元号「令和」の危うさ

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。本日、新元号が「令和」と決まりました。その典拠となったのが、『万葉集』巻第5に載る「大宰帥大伴卿宅宴梅花歌三十二首」の序文であるそうです。この序文は、天平2(725)年1月13日に、当時、九州大宰府大宰帥であった大伴家持邸にて開かれた宴の席において、その32名の出席者が、梅の花をお題として詠んだ短歌を『万葉集』に収載するにあたり、おそらくは、その編者と推測される家持自身が記した序文であると考えることができます。
 
「令和」をめぐりましては、論点は多々あるのですが、序文の執筆者が、大伴家持であることに、まず注目してみることにしましょう。大伴氏という氏族は、5世紀頃より、大内裏南面中央の正門が「大伴門」と号することが慣例となっていたように、所謂「天皇の藩屏」として知られた古代豪族です。武門の豪族として知られ、武烈天皇の即位に際しては、当時、政治権力を恣にしていた平群真鳥臣と鮪の親子を、その軍事力をもって除いております。また、欽明朝では、大伴狭手彦が大将軍に任じられ、高句麗遠征で王城に至るという武功を挙げてもおります。そして、3月20日付本ブログにて、軍歌の『海ゆかば』の「大君のへにこそ死なめ、かえりみはせじ」とする歌詞は、明治時代にイルミナティーによってつくられた“天皇”が、戦争恍惚師である可能性を示していると述べましたが、大伴家持は、まさに、この『海ゆかば』の歌詞のもととなった万葉歌の作者なのです。
 

すなわち、軍事と深くかかわり、天皇を戦争恍惚師として認識している人物が書いた序文を典拠として、「令和」という新元号が制定されたということになります。元号をめぐりましては、明治以降、天皇の在位期間を使用期間とする「一世一元の制」が用いられておりますだけに、「令和」という新元号には、危うさがあるような気がいたします。


 

よろしければ、クリックをお願い申し上げます。

 

[https://blog.with2.net/link/?626231 人気ブログランキング]

 
(続く)