時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

一世一元の制は無理なのでは:元号は誰のためにあるのか

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。新元号「令和」をめぐりましては、4月1日のその発表以降、混乱状態にあると言うことができますが、そもそも一世一元の制という元号制度自体に無理がある点を本日は扱います。
 
政府は、天皇諡号元号とする一世一元の制は、あたかも日本国の伝統に則っているかのように説明しておりますが、この制度は、明治時代のイルミナティー革命によって新たにつくられた所謂「イルミナティー系天皇」の権威付けのために制定された制度と推測され、日本史上、一度たりとも存在しませんでした。
 
日本書紀紀年法では、基本的に天皇の代替わりを基準として、歴代天皇の即位年を元年とし、年数を数え直す紀年法が採られていたために、便宜的に、研究者などの間で、例えば「神武天皇の○○年」などと呼称されてはおりました。一世一元の制という実用の元号制度は無かったのです(『日本書紀』では、編年体史書としての体裁上、「元年」、「二年」、「三年」などと記されてあるのみ)。『日本書紀』によりますと、我が国の元号制度は、西暦645年の大化の改新の際に用いられた「大化」に始まりるものの、「大化」は、時の天皇であった孝徳天皇諡号では、もちろんありません(『日本書紀』には見えないものの、推古朝の頃に「法興」という元号が使用されていた可能性は高い)。元号制度そのものは、漢の武帝が紀元前140年に「建元」という年号を立てたのに始まり、雅字や好字2文字をもってつくることが原則であって、むしろ、諡号とは一致しないのです(「大化」以降、幕末まで、元号諡号が一致するケースは皆無)。
 
また、諡号元号とするという発想も奇妙であると言うことができます。諡号とは、生前におきましては、「帝」や「今上天皇」などとのみ称されていた天皇崩御された後に、その人柄や業績を勘案して贈られる尊号であるからです。一世一元の制ですと、即位前であって、何ら業績の無い段階で、没後の諡号が決められてしまうという奇妙な状態となってしまうのです。
 
すなわち、明治時代に、イルミナティーは、「イルミナティー系天皇」を通して、日本国を支配するために、日本国の歴史や伝統を無視して、一世一元の制をつくったと考えられるのです。
 
イルミナティーの思想が、如何に恐ろしい思想であるのかにつきましては、本ブログにて再三にわたり指摘している通りであり、「皇帝が時をも支配する」という中華思想的な傲慢な独裁主義が一世一元の制の背後にはあると言うことができます。一世一元の制は、「イルミナティー系天皇」とその一族による政治関与と独裁化への道を開く危うさを持っていると言えるでしょう。
 
このことは、一世一元の制が、如何に、「国民主権」という我が国の国家理念と相いれない制度であるのかをも示しております。民主主義思想の下におきましては、時間は誰にも支配されることのない、国民一人一人の時間であるからです。そして、『日本国憲法』のもとに、民主主義を国是とする我が国におきましては、元号もまた、国民すべてのための元号であることは言うまでもありません。
 
このように考えますと、そもそも一世一元の制自体に無理があり、この点が、今般の「令和」をめぐる混乱の要因となっていると考えることができます。すなわち、明治時代以降のイルミナティーの謀略によって、「令和」は、民主主義国家である日本国の国民が、古より続く伝統に則って使う日本国独自の年号制度の年号であるのか、それとも、浩宮諡号であるがゆえの年号であるのか、という点が曖昧となってしまっているのです。
 
元号をめぐる2つの思想の衝突による混乱は、一世一元の制という元号制度自体につきまして、考えなおす時期に来ていることを示しているでしょう。

 
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(続く)