時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

“皇族”の実態と国民の持つ皇族像との乖離

本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。昨日の本ブログの内容につきまして、読者の方から、継子さんも、英国留学中、徳仁氏と同じように不品行であったとのコメントをいただきました。
 
継子さんをめぐりましては、留学中、アフリカ系のヒップホップミュージックに凝り、その容姿から「フィリピナー」と綽名されるほどに、アフリカ・東南アジア系の南方文化に傾倒していたとのことは、日本でも週刊誌などで報道されておりました。徳仁氏もしかりであり、日本人が、“皇族”に対して持つイメージとは真逆の野性的な実態が、特に英国留学中に表出してしまう理由は、「チーム明治天皇」の子孫であるから、という理由によって、あるいは説明されえるのではないでしょうか。
 
仮に、大室寅之助、西郷隆盛、西郷と台湾の平浦族の女性との間に出生した呉亀力の3者によって「チーム明治天皇」が構成されていたといたしますと、大室寅之助の出自不明の父親の出身民族の性格、西郷の南方文化を好む性格、呉亀力の母方の野性的性格(首狩り族の性格)は、その子孫に引き継がれているはずです。“皇族”は、日本にいる間は、国民の目を気にして、こうした遺伝による性格は、なるべく表に出ないように努めたかもしれません。しかしながら、留学先、すなわち、海外では、多くの人々が、既に、「チーム明治天皇」であることを知っているために、“皇族”らしく振る舞う必要がなかったのかもしれないのです。
 

現在、多くの国民が、“皇族”に対しまして、不信感を募らせている理由は、留学中の“皇族”の行状が、日本国内でも知られるにつれ、“皇族”の実態が、あまりに日本の伝統的な皇族像からかけ離れていることに気付きはじめているところにあるのかもしれません。


 

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(続く)