時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

なぜ大奥・瀧山は権力を掌握できたのか:幕政の構造的欠陥

本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。なぜ、幕末に大奥の老女でありながら、瀧山は幕府の影の権力者となったのか、そこには、幕政の構造的問題が見えてまいります。
 
大奥は、江戸城の建造物のおよそ6割を占めており、将軍の御台所、前将軍の御台所、将軍の生母など、およそ1000人あまりの女性達が暮らしておりました。将軍以外の男性が大奥へ入ることが厳しく制限されていたこともあり、大奥の運営・管理は、女性のみによって構成され、老女を頂点とするピラミッド型の組織に任されておりました。ここが、男性の宦官によって管理・運営される中国などの後宮との大きな違いであり、おそらく、大奥が制度化してゆくにあたって、朝廷における女官システム、すなわち、女性も内侍などの官職を持って朝政に参画するシステムに倣ったがゆえなのでしょう。
 
さて、このように謂わば「女性官僚組織」が江戸城内に成立いたしますと、この組織のトップは、瀧山が5代の将軍に仕えたことに示されますように、江戸城表の政治よりも、長期政権化するものとなりました。一般的には、一旦、大奥に入りますと、生涯大奥で暮らすことになりますので、交替が頻繁にあった将軍や老中よりも、長くその座にあることができたのです。
 
しかも、NHKの『英雄たちの選択SP』によりますと、この女性官僚組織で出世するための条件は、「引き」・「運」・「器量」の順であったそうです。「引き」は、いわゆるコネのことですので、能力のある人よりも、幕府要人とのコネがあって世渡りのじょうずな人が、トップの老女になってしまうということになったのです。こうした組織には、民主主義的要素は皆無であるのに加えて、大奥という狭い世界にあって巨視的に物事を判断するような人がトップとなることは稀であり、結果的に、瀧山のような賄賂によってすべてを決めるようなウルトラ自己中心的な人が、長期政権を保つことになったのではないか、と推測することができるのです。
 
しかも、江戸城表の政治は、短期政権となりますと、前例を重視する社会にあって、いよいよ大奥の老女がその権力を延ばすことになり、国家全体や国民を顧みない政策を行ったと考えることができます。
 
とかく明治維新は、維新側の視点から評価されますが、このように考えますと、幕末の将軍や幕臣達が、いかに困難な状況に直面していたのかがわかります。幕政を維持したくとも、その幕政が瀧山のような専制的老女に左右される構造になっていたとなりますと、幕府は、大奥、倒幕勢力、そして開国(実質的に日本の植民地化に繋がる可能性もあった開国)を求める諸外国政府という3重苦のなかにあったと推測することができるのです。

 
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(続く)