時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

大奥の経済力はどこから来ていたのか

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。幕末の大奥の老女・滝山による賄賂政治と関連いたしまして、そもそも、なぜ、大奥では、豪奢な生活を営み続けることができたのか、という問題につきましても考えてみましょう。
 
博物館や美術館での展覧会、映画やTVの時代劇でもよく知られておりますように、江戸時代の凡そ260年間にわたり、大奥の女性達は、高価な調度品を用い、また、豪奢な衣装を身にまとい続けました。では、その財源は、どこにあったのでしょうか。もちろん幕府ということになりますが、では、その幕府の財源はどこにあったのか、と言いますと、独占貿易にあったと考えることができます。
 
鎖国によって日本は世界経済から孤立し、日本経済も内需と国内生産のみによって回っていたという印象がありますが、実はそうではなかったようなのです。すなわち、幕府の鎖国政策は、経済面におきましては、経済的孤立を目的としたものではなく、貿易の独占化であったと推測することができるのです。鎖国によって、幕府以外の諸藩による海外貿易は禁じられた一方で、貿易相手国をオランダ一か国に絞ることで、幕府は、オランダを窓口として海外貿易を独占していたのです(諸藩に海外貿易を禁じることで、諸藩が江戸幕府に対抗しうる武器を入手することを不可能にもしたので、一石二鳥の政策でもあったのでは)。
 
日本は金の産出国であるとともに、蒔絵、屏風絵、絹織物(倭錦は中国製の絹織物よりも糸が細いため希少価値があった)など、有望、かつ、莫大な利益を得ることのできる輸出産品を有しておりました(仏マリーアントワネットが、日本の蒔絵のコレクターであったことは有名)。
 
平安時代末期の日宋貿易を独占した平家の暮らしぶりや、戦国時代の織田信長の安土桃山城、そして、豊臣秀吉聚楽第大阪城に示唆されますように、有望な輸出産品を持つ日本におきましては、貿易は多大な富をもたらし、貿易の独占は、富の独占に近かったとも言えるかもしれません。このことは、江戸時代を通して、海外貿易を独占した徳川幕府が、如何に“大金持ち”であったかを示しております。1861年に、孝明天皇の妹の和宮が、幕府将軍に降嫁いたしますが、幕府がそのほぼすべてを負担した婚礼の費用が現在の貨幣価値に換算いたしますと、1兆数百億円であったことからも、徳川幕府に如何に富が集中していたのかがわかります。
 
従いまして、幕末の頃には幕府内は、何でもお金で動くことになり、その和宮降嫁をも取り仕切ったとされる老女・滝山の賄賂政治に象徴されますように、幕政は腐敗し、機能不全に陥っていったと考えることができるのです(国防を考えねばならない時期に、婚礼費に1兆円を費やした滝山は、さながら、頤和園をつくった清国の西太后)。
 

 「徳川埋蔵金」についての噂が、しばしばメディア等でも話題になっておりますが、埋蔵金が実際に存在しているにせよ、無いにせよ、徳川幕府に富が集中していたがゆえに生じた噂であるのかもしれません。


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(続く)