幕末日本に忍び寄るイルミナティー
本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。明治維新と言いましたならば、維新側と幕府側という2大勢力の衝突というイメージがあります。しかしながら、昨日扱いました老女・瀧山に象徴される賄賂政治の横行と幕政の機能不全を踏まえますと、状況は、そのような単純な構図によって説明されえるものではなく、かなり複雑であったのではないか、と推測することができます。
幕末とは、近代兵器を有する諸外国政府(その背後に世界支配計画を進めているイルミナティーも暗躍)が、開国という日本国の植民地化をももたらしかねない要求を幕府に対して行っていた時代であり、迅速、かつ、賢明な対応を迫られていたにもかかわらず、大奥・滝山問題に象徴されますように、賄賂政治によって幕政が機能不全に陥っていた時代でもありました。このような時代にありまして、江戸幕府や諸藩の武士層、そして、市井の人々の間に、“国政改革を行うことで、こうした難題に答えることのできる立派な政府をつくり、日本の国を存続させよう”とする機運が生じたことは、当然のことであったと言えるでしょう。
しかしながら、その廃止も含めた幕政の改革や新たな政府の樹立の必要性が認識されながら、どのような方法、そして、手順で行ったらよいのか、人々は暗中模索の状態であったはずです。そこに現れたのが、“よい子”の仮面を被ったイルミナティーであったのではないでしょうか。フランス革命など様々な歴史的事件の背後にあったイルミナティーは、いわば、革命のプロであり、国制・国政改革を求める人々の心情を利用(悪用)して、自らの世界支配計画を推し進めようと計画したと推測することができるのです。すなわち、武器供与も含めて国政改革に協力するポーズをとって忍び寄り、最終的には、日本国をイルミナティーの支配下に置くことを計画したと考えることができるのです。
従いまして、幕末日本には、最小限、以下のようなグループが出現していたかもしれません。
- イルミナティーのメンバーではなく、幕府の内にあって幕政の改革のみを目指したグループ
こうした4つのグループが、それぞれの目的に沿って活動し、しかも、真の目的を隠しながら活動していた人々もあったわけですので、幕末の日本には、最終的には、どのようになるのかわからないような極めて複雑な状況が齎されていたと推測することができるのです。
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(続く)