幕末史を複雑化させたフリーメイソンの2つのグループ
本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。昨日の本ブログにて、幕末日本には、最小限、以下のようなグループが出現していた可能性を指摘いたしました。
4)イルミナティーのメンバーではなく、幕府の内にあって幕政の改革のみを目指したグループ
このような最小限の4つのグループに加えて、フリーメイソン内部にも大きく分けて2つのグループがあった点も着目されます。イルミナティーとは、1776年5月1日に、ユダヤ系イエズス会士のヨハン・アダム・ワイズハウプトJohann Adam Weishauptが、ユダヤ系のロスチャイルド家(Khan家)のマイアー・アムシェル・ロートシルト(独: Mayer Amschel Rothschild、1744年2月23日 - 1812年9月19日)から要請されて創設された秘密結社です。創設当初からの目的には、世界の王室・皇室の乗っ取りの他に、フリーメイソンの乗っ取りがありました。従いまして、フリーメイソンのメンバーには、徐々に、イルミナティーから送り込まれてきた「フリーメイソンのメンバー兼イルミナティーのメンバー」という人々が増えていったと考えることができるのです。
フリーメイソンとイルミナティーの思想には大きな違いがあります。フリーメイソンの思想は、キリスト教精神を基盤とし、ギリシャ・ローマの政治思想を取り入れた啓蒙思想としてもよく知られる思想であり、基本的人権の尊重、民主主義、法の支配を肯定する思想でありました。従いまして、幕末に来日したフリーメイソンのメンバーは、日本国の国制改革にあたり、こうした諸価値を実現することのできる政体となすべく暗躍したと推測することができます。
一方のイルミナティーの思想は、その前身であるイエズス会も含めて、その創設者達が皆ユダヤ人(黒いユダヤ人)であって、全員バビロニア系ユダヤ教徒であると推測されることに示されますように、悪魔崇拝・ウルトラ自己中心主義のバビロニア系ユダヤ教を基盤とし、独裁・専制支配をよしとする思想でありました。従いまして、幕末に来日した「フリーメイソンのメンバー兼イルミナティーのメンバー」は、国政改革にあたり、独裁・専制国家となすべく暗躍したと推測することができます。すなわち、「チーム明治天皇」独裁体制を実現させようと工作したと推測することができるのです。
現在では、イルミナティーによるフリーメイソンの乗っ取りが進んでいるようですが、幕末の頃には、フリーメイソン内には、元からのフリーメイソンのメンバーであって、啓蒙思想を是とするメンバーと、秘かにバビロニア系ユダヤ教を信奉する「フリーメイソンのメンバー兼イルミナティーのメンバー」が混在していたようなのです。
幕末に来日した英国外交官のアーネスト・サトウErnestMason Satow(1843年~1929年)の来歴も、このような推測を補います。幕末において「チーム明治天皇」などの様々な工作活動を行ったと推測されるアーネスト・メイソン・サトウは、幕末に来日し、薩長側を支援したイギリスの外交官です。Wikipediaによりますと、「父親のデーヴィッドはラトビアのリガの出身で、11歳から2年間ボーイとして船上で働き、1825年にロンドンに移住、ルーテル派の信者となり、同じ教会に通う代書人メイソン家の長女マーガレットと結婚、ロンドン塔近くのジューリー通り(Jewry Street。オールド・ジューリーと並ぶイギリスにおける最も古いユダヤ人街のひとつで、古くは貧しいユダヤ人の居住地域だった)に住んで土地家屋を売買する金融業を営み、1846年にイギリス国籍を取得した」そうです。
ラトビアは、黒いユダヤ人が多く居住していた地域であることから、サトウの父親は、ルーテル派に改宗した‘黒いユダヤ人’であり、一方の母親は、「メイソン」という姓から、フリーメイソンとの関連の強いユダヤ人の家系であったと推測することができます。このことから、サトウは、「フリーメイソンのメンバー兼イルミナティーのメンバー」であったと推測されますが、幕末に来日した欧米人のすべてが、「フリーメイソンのメンバー兼イルミナティーのメンバー」であったわけではないようですので、これらの2つのグループと、先に挙げた4つのグループとが、幕末にあって烏合集散し、状況は極めて複雑化していたと考えられるのです。
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(続く)