ローマ史に見える元祖偽旗戦術
本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。ローマ史は、多くの歴史の教訓を提供してくれるようです。昨日扱いました共和政ローマとエジプトとの間に戦争が発生した経緯には、イルミナティーもよく使う騙しの戦術の典型を見ることができます。
カエサルなきあと、カエサルの甥であってカエサルの養子となっていたオクタヴィアヌスが、紀元前33年1月1日に、この年の執政官(今日の大統領のような一年任期の職)となります。翌年、任期が切れますと、クーデターによって再び執政官に任命させ、その権力を増大させてまいります。カエサルも執政官から独裁官となり、ローマ皇帝(世襲制独裁官)の地位を狙いましたので、ローマ市民の間では、オクタヴィアヌスもまた、カエサルと同様にローマ皇帝の地位を狙うのではないか、と心配されるようになるのです。
このような状況を見てとったアントニウスは、ローマ市民に対しまして共和政への回帰を訴えます。このことから、ローマ市民の間に、アントニウスへの支持が広がることとなります。すなわち、ローマ社会におきまして、オクタヴィアヌスを排して、アントニウスを執政官の地位に就けようとする動きが起こることとなるのです。果たして、野心家のアントニウスには、共和政への回帰を本当に行うつもりがあったのか、否か、それは、アントニウスの遺言書によって明らかとなります。
アントニウスは、ウェスタの巫女に遺言書を預けており、オクタヴィアヌスが、その遺言書を奪ってその封印を開いたところ、アントニウスの遺書には、「ローマの征服した地域はアントニウスの子に受け継がれるべき」と書かれておりました。すなわち、アントニウスは、共和政に戻すつもりなど毛頭なく、ヘリオスをローマの征服地すべての王とする計画であったのです。すなわち、まず、第一に、アントニウスが、ローマ市民の支持を得てローマの執政官となり、第二に、アントニウス亡き後、遺言書の通りにヘリオスが征服地のすべての王となりますと、結果的には、ヘリオスが「ローマ皇帝兼ファラオ」となったていたはずなのです。
このように推測いたしますと、「共和政への回帰」という偽の旗印を掲げて執政官となろうとしたアントニウスの作戦は、まさに偽旗作戦の典型であると言えるでしょう。
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(続く)