時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

代理出産には深慮を

 本日の新聞報道によりますと、世論調査の結果、代理出産を認めても良いとする意見が過半数を越えたと言います。しかしながら、生命倫理に関するこの問題は、より慎重な議論が必要なのではないか、と思うのです。

 第一に、この問題は、”親”の定義から始めなくてはなりません。生殖医療が進歩した現在では、1)生物学的な親、2)生みの親、3)育ての親というように、複数の人が、自らが”親”であることを主張できるようになりました。この結果、法律で一律に”親”を決めることが困難となったのです。例えば、代理母が出産した子供を自分の子供であるように認める主張がある一方で(生物学的な親の主張)、全く反対に、生物学的には他人の子であっても自分が生んだ限りは実子と認めるように要求する人々もいます(生みの親の主張)。

 第二に、代理出産がビジネスとして行われることに対する生命倫理上の是非が問われなくてはなりません。世論調査では、主として姉妹間の代理出産が想定されてはいますが、出産には生命の危険が伴いますので、ビジネス化しますと人身売買的なニュアンスが含まれてしまうことなるからです。

 第三に、生まれてくる子供の立場を考えなくてはなりません。もし、子供には本当の親を知る権利がない、ということになりますと、子供は、一生涯、自分の存在に悩むことになるかもしれません(数年前に、こうした事例がテレビ番組で放送されていました)。親の権利ばかりを尊重しますと、子供の権利が損なわれることになりますので、バランスを考慮する必要があります。

 最後に、生殖医療の歴史はまだ浅いことを考えますと、試験管ベビーについて、充分な安全性が保障されていないことも問題となりましょう。本当は、次世代まで調査しませんと、はっきりした結論がでない問題なのかもしれません。

 以上の点を考慮しますと、代理出産については熟慮しなくてはならない問題が少なくなく、結論を急ぐ必要はないと思うのです。