時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

許認可制度における国と企業の責任分担

 薬害事件や耐震構造偽装事件など、近年、政府の許認可制度に関連した訴訟事件が多発しています。果たして、国は、どこまで法的な責任を負い、また、国庫支出による被害者救済の義務があるのでしょうか。

 この問題を考えるに際してまず確認すべきことは、政府は、民間企業に対して一たび許認可を行った限り、それらから生じる全ての被害を全面的に救済する義務を負うのか、ということです。全面的な救済には、治療費や損害の全額負担など、財政支援も含まれます。仮に、許認可を出した以上、あらゆる被害を政府が救済しなければならないとしますと、莫大な予算を要することになります。例えば、薬害肝炎の場合、1000億円が見込まれていますので、この事件だけでも、国民一人当たり約1000円の負担となります。また、将来において、耐震構造の基準を満たしているにもかかわらず、実際に地震が起きて合格した建物が倒壊した場合には、さらに巨額の予算をつぎ込まなくてはならなくなるでしょう。結局、国の救済措置と言いましても、国民の税負担から拠出されるのですから、際限がないというのも問題のように思うのです。しかも、自然災害の被害者や難病患者であっても、政府の支援がなく、救済されない人々もいるのですから、予算の使い方にはバランスが必要です。

 このように考えますと、許認可を受けた企業は、その後に生じた欠陥については、国よりも重い責任を負うべきではないか、と思うのです。薬害につきましても、国は、承認を行った時点において、非加熱製剤にウィルスが混入しているとは予測できなかったでしょうし、原材料の安全性の確認は、企業側の責任で行うべきであったと言えましょう(ただし、危険性を認識した時点で、政府は、承認取消か、原材料のチェックの厳格化を求めるべきであったとは言えます)。今後も同様な事件が起こるかもしれませんが、政府は、政策的手段の工夫や再発防止に努める一方で、財政的な負担については、主として企業側が負うべきではないか、と思うのです。