時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

きわめて奇妙な外交ハンディキャップ論

 本国の外交については、第二次世界大戦における行為と敗戦に鑑みて、未来永劫にわたって主権上のハンディを負うべきである、とする説があります(ハンディキャップ論)。憲法第9条自衛隊の活動への制約もこの議論の延長線上で語られることもあるのですが、しばし考えてみますと、この主張、どうにも奇妙に思えてならないのです。

 何故ならば、第一に、国際法上において、敗戦国が未来永劫にわたって主権の制約を受けるというルールはないからです。もし、この説が正しいとすれば、敗戦した側は、常に、二等国に格下げされることになります。ところが、実際には、敗戦国は、戦勝国の占領を受けたとしても、講和条約の締結後は主権を完全に回復するものであり、ハンディキャップ論は、この意味において、国家間の平等を原則とする国際法の原則に反しているのです。

 また、ハンディキャップ論は、旧日本軍の行為が人道に反していたことを挙げて(ただし、日本軍の行為に関しては誇張や政治的プロパガンダが指摘されていますが・・・)、あたかも日本国が”原罪”を背負っているように説明します。しかしながら、これも、唯一日本国のみに当て嵌めることには無理があります。戦争においては、戦勝国も敗戦国も双方とも、残虐な行為を行いがちだからです。もし、過去における残虐行為をもって主権の制限を言うならば、日本国以外にも、実に多くの国々が二等国とならねばならないでしょう。歴史を振り返りますと、脛に傷を持たぬ国家は、わずかしかないのです。

 第二次世界大戦の結果のみをもって、日本国に永遠のハンディキャップを負わようとする主張は、自国を自ら貶めることになるのではないでしょうか。何故、日本国は、平等を良しとしながら、自らのハンディを克服しようとしないのか、まことに不思議なことと思うのです。