時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

政党という存在の不思議

 誰もが、政党とは政治につきものであって、特に現代国家では、複数の政党の存在こそが、民主主義の証と考えています。ところが、この政党という存在、よく考えてみますと、いくつかの点で、不可思議な点があるのです。

 たとえば、第一に、政党発祥の地はイギリスですが、その始まりは、名誉革命に際しての議会内部の分裂にありました。ですから、政党誕生時にあっては、先に議会の存在があり、議会の中に政党があったのです。しかしながら、現在では、政党は議会の外部に広がった結果、政党あっての議会になっており、誰も、この逆転にさしたる関心を払ってはいません。

 政党とは、確かに国民と政治とを結ぶ役割を果たし、国民の政治的な選択の受け皿です。ところが、長い間、政党は、政治信条をともにする私的な集団とみなされてきており(現在では政党助成金が支払われていますが・・・)、特に、議会を越えて国民の中で活動する場合には、この側面は顕著になります(一つ間違えますと、公権力の私物化が起きてしまう・・・)。政党とは、私的な集団でありながら、公的な役割、あるいは、権力を求めるという二面性を持っているのです。これが、第二の不思議です。

 第三の不思議とは、政党の独占性です。共産党ナチス、ファシスタ党といった全体主義政党の論理は、国民の一部が支持するに過ぎなくても、国家権力を半永久に独占しても良い、という考え方に基づいています。もちろん、この側面は、議会で第一党になった政党や大統領を選出した政党が政府を形成する民主主義国家にもある程度言えるのですが、本当に、第一党が政権を独占しもよいのか、という問題については、これまで、真剣に議論されたことはありませんでした。

 当然の存在と思っていた政党にも、以上に挙げたように、まだまだ考えさせられる点があります。こうした問題を、ひとつひとつ丁寧に突き詰めてゆきますと、何か、政治システムの改善方法が見つかるかもしれません。