時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

日本の国際化とは中国化?

 冷戦が終焉した世紀末ごろから、我が国では、しきりに国際化が叫ばれると共に、来るべき21世紀はアジアの時代とも喧伝されてきました。ここでしばし立ち止まって振り返ってみると、あるいは、これまでの歩みとは、実のところ、我が国の中国化であったのではなかったのか、と疑ってみたくもなるのです。

 中国化の現象は、至るところで観察することができます。共産主義国家では、報道統制は常套手段ですが、マスコミの情報統制、あるいは、意図的な無視は、政府にとって都合の悪いテーマを対象にして、日常的になりつつあります。人権擁護法案が可決されれば、この傾向にさらに拍車がかかることでしょう。また、職権による私的な利得漁りや汚職といった官僚腐敗の酷さも、中国も顔負けになりつつあります。そうして、公共放送であるNHKをはじめとして、テレビ画面に見られる色使いは、調和を尊んだ日本のものではなく、明らかに大陸系のものですし、様々な尖端的な映像技術が開発されていながら、表現方法にも進化は見られません。あらゆる面において、日本国は、むしろ、中国のセンスとレベルに合わせているように思われるのです。

 弾圧事件の発生したチベットにおいて中国化政策が進行している事実を知るにつれ、我が国にも、密かに中国化政策が及んでいるのではないか、と心配になります。日本国が日本らしさを失い、中国化することは、中国の覇権に飲み込まれる前兆かもしれないのです。