時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

長野県が守るべきものは何か

 北京オリンピック聖火リレーは、現在、中国政府によるチベット弾圧への抗議行動の象徴と化しているようです。わが国でも、長野県がリレーのルートに予定されているようですが、伝え聞くところによりますと、長野県では、抗議行動の重要性が認識されおらず、職員の中からは”ばかげた行動”という発言もあったそうです。

 この発言が本心であるとしますと、長野県は、守るべきものの優先順位が違っているように思うのです。おそらく、アジアの大国となりつつある中国の期待に応えて、聖火を無事に運ぶことが、長野県にとっての優先課題なのでしょう。しかしながら、長野県は、なぜ、世界中の人々が、中国に対して、そうして、その中国が開催地となる北京オリンピックの聖火に対して、怒りをぶつけているのか、全く理解していないようです。平和教育には熱心なようですが、これでは、一方的に軍事力によって支配され、民族・宗教弾圧がおこなわれ、人権が蹂躙されているチベットの現状を憂い、中国に対して抗議する方が、おかしいといっているようなものです。ここにも中国と同様の善悪の転倒が見られます。

 長野県の姿勢が”侵略国”擁護であるならば、その見識を疑わざるを得ません。長野県が優先して守るべきものとは、聖火ではなく、侵略を許さない国際秩序であり、人々の命や尊厳ではないか、と思うのです。