時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

中国の、中国による、中国のための北京オリンピック

 北京オリンピックの開会式への出席や聖火リレーでの抗議運動が取り沙汰されるに際し、しばしば、オリンピックと政治とは切り離しすべし、という主張が聞かれます。しかしながら、中国が、政治的にはいまだに共産主義を信奉していることを考えますと、これは、無理はお話しなのではないか、と思うのです。

 共産主義体制は、全体主義に分類されますように、一つのイデオロギーが、すべての領域を指導し、支配するという形態をとります。しかも、公的な政治が、あらゆる領域で私的な活動に優先することが強要されます。このため、オリンピックとは、国際社会から見ますと”公共物”なのにも拘わらず、中国の手にかかると、反対に中国の”私物”になっていまうのです。共産主義が公有制を是とすることから見考えますと、この”私物化”は矛盾しているように思えるのですが、中国にとっては、論理は一貫しています。それは、中国が、すべてが共産主義によって支配されるべきと考えるからです。つまり、共産主義が、究極かつ絶対的な国家体制であると自負している限り、あらゆる物事は、中国によって、一方的に利用されてもよいことになるのです。

 もちろん、中国は、すでにイデオロギー国家ではなく、現実主義の覇権主義国家であるとする見方もあります。しかしながら、共産主義が、この覇権主義の理論的支柱として一役買っていることもまた確かなようなのです。オリンピックを政治化させないためには、そもそも、共産主義国家での開催を見送るべきではなかったかと思うのです。
 
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