時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

誰かが化け物退治をしなくては

 昔話や神話の世界には、時々、悪しき化け物が怪獣が登場するものです。大抵、それらの化け物や怪獣は、罪なき村人に対して生贄や犠牲を要求し、勇気と力を持った誰かがこれを退治しなくては、村人たちは、永遠に救われません。物語的には、ここで英雄が登場し、えいや!とばかりに化け物や怪獣を倒して一件落着となるのですが、こうした物語には、人間社会の一面が描きこまれてもいるのです。

 それでは、現代においても、英雄譚から、何かしらの教訓を引き出すことはできるのでしょうか。昔話や神話といって侮ってはなりません。実は、これらのお話には、遠い人類のご先祖様達から伝えられた重要なメッセージが隠されていることがあるのです。それは何かと言いますと、化け物=罪なき人々を虐める人に対しては、誰かが勇気をもって闘わなければならない、ということです。これほど単純なことはないのですが、何故にか、現代に生きる人々は、この理を忘れてしまっているのです。

 中国が横暴な牙をむき、チベットの人々や罪なき人々の犠牲を耳にするにつけ、本当は、誰かが闘わなくてはならない(必ずしも武力行使を伴うとは限りませんが・・・)、というこの教訓を思い出すのです。平和主義者は、闘いよりも融和を説きますが、その融和の陰には、累々たる犠牲者が横たわることになります。そうして、誰も何もせず、何も言わなくては、抑圧されている人々は永遠に救われることはないのです。皆さんは、どのように考えますか。

 よろしければ、クリックをお願いいたします。
<A HREF="https://blog.with2.net/in.php?626231">人気ブログランキングへ</A>