時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

聖火リレーで長野県警が失ったもの

 先日長野で行われた聖火リレーについては、マスコミ報道とは異なって、チベット応援側と中国側動員集団との間に、暴力沙汰の相当の衝突があったようです(動画に映っていました…)。その際、長野県警は、中国側がチベット応援側に加えられた暴力には見て見ぬふりをし、逮捕者は、チベット応援側のみであったようなのです。長野県警の不公平な態度については、ネット上でも散々に非難されていますが、長野県警は、自らが失ったものの大きさに気付くべきではないか、と思うのです。

 失ったもの、それは、国民からの信頼です。国家と国民との間には、権利と義務とが一対なった関係が成立しているものです。治安の維持については、国民は、警察に対し、治安を維持するために物理的な力を行使する権利を認めるかわりに、法律を守り、警察の指示に従う義務を負います。このため、国民は、国民の生命、身体、財産を守ることこそ、警察の第一の仕事と見なしているのです。しかしながら、今回の事件ではっきりしたことは、警察は、国民が助けを求めても、いざとなったら、自国民を守らないかもしれない、ということです。つまり、国家と国民との信頼の絆を、警察側が断ち切ってしまったのです。

 もちろん、様々な言い訳は可能ですし、長野県警を褒める意見もあります。しかしながら、こうした不信感が国民の心に刻み込まれれば、それは、長期的に見ますと、大きな損失となるのではないか、と思うのです。一度失われた信頼は、それを取り戻すまでに、長い長い年月を要するかもしれないのです。

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