時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

憲法改正を怖れる事なかれ

 憲法改正⇒戦争という思考回路が出来上がってしまいますと、なかなかこの固定概念から抜け出ることは難しいものです。ですから、ここで憲法改正の必要性を力説しても、あまり効果はないかもしれません。しかしながら、何時までも、半世紀を過ぎた憲法をそのままの状態に放置しますと、制度疲労によって、国家の屋台骨が根底から揺らいでしまうことも確かなことです。

 憲法改正に踏み出せない理由、それは、おそらく心理的な恐怖心、あるいは、依存心というものなのでかもしれません。かつて、日本国民の多くが、神国日本の不敗神話を信じて戦勝を疑いませんでした。そうして戦後にあっては、憲法第九条は、不敗神話と同じ役割を担うことになったのです。憲法第九条は、いわば、”御守り”の役割を果たし、平和を信じて、それをしっかと握りしめている人々が多いのです。

 理性的に考えれば、憲法が改正されても、改正されなくても、戦争というものは相手あってのことですので、周辺国から攻撃を受ければ否が応で防衛戦争を闘わざるを得ないことは、理解に難くはありません。憲法第九条は、平和とはイコールではありませんし、改正された条文に、”侵略戦争を禁じる”とする一文を置けば、周辺諸国からの警戒も解くことができます。しかも、日本国は、政策的な幅を広げることができますので、むしろ、平和への貢献度が高める可能性すらあります。

 平和を願う気持ちは尊いことですので、憲法第九条を守ろうとする動機に誤りがあるわけではありません。しかしながら、憲法第九条が、むしろ、戦争を誘発する可能性すら見えてきた現状において、教条主義的に護憲を叫ぶこともまた、危うい行為と言えましょう。それが、第九条のみならず、他の制度的な部分の改正の反対にまで及ぶとなりますと、日本国は、自らの可能性に天井を設けることになりかねないのです。憲法改正の恐怖心の克服、この心理的な壁を乗り越えるとき、日本国民は、自らの力でより優れた国際秩序と統治制度を築く道を開くことができるのではないでしょうか。

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