時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

正義の味方が悪に加担する?

本日の産経新聞朝刊の一面に、作家の曽野綾子氏が「弱点を武器にする弱者たち」という一文を書いておられました。文章の内容を簡潔に纏めますと、心身を鍛えることを等閑にした戦後教育の結果、同情という高度な精神性は育つべくもなく、弱者の恫喝がまかり通る社会になってしまった、というものです。

 弱きものとは、本来、人々がいたわり、守るべきものとする社会通念は、道徳の基礎となってきました。弱きものを助けることこそ、正義の重要な要素であったのです。古今東西、ヒーローは、常に、弱きものの味方でした。しかしながら、弱者の恫喝がまかり通るようになった現代では、この通念は、見事に逆転してしまった感があります。最貧国の北朝鮮が拉致や核開発を行い、暴力団の組員が生活保護をむしり取り、より身近なレベルにおいても、自らの弱さを理由に不当な要求を行う事例が後を絶ちません。完璧な人間など、この世には稀にしかおらず、皆が弱い面を持っているのですから、これでは、主観を基準とした弱さ比べが起きてしまいそうです(より弱い方が勝ち?)。現代社会においては、本当に助けを必要とする弱き人々と、弱さを自己の利益のために利用しようとする人々とが混在しているのです。

 弱きものは助けよう、という道徳観が単純に通用した時代はとうに過ぎ去り、現代とは、健全な社会を守るためにこそ、弱さを利用しようとする人々の不当な権利の主張を抑制しなくてはならない時代なのかもしれません。この見極めがつきませんと、何時の間にやら、正義の味方が悪に加担する、ということになってしまいそうなのです。

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