時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

試験の公平性は健全な社会の基礎

 あらゆる試験は、公平性が確保されていなくては意味がありません。そもそも、試験とは、個々の能力や知識などを測るための手段であり、もし、これが不公正な状況で実施されるならば、当然に、正確な判定結果を得ることができないからです。

 そうして、試験が公平に実施されていることは、試験を受けた人々が、合格であれ、不合格であれ、その結果を受け入れることができる前提条件となります。もし、試験の結果が歪められていたら、その結果に対して、不満を持つ人が増えてしまうのです。

 大分県で起きた教員試験にまつわる汚職は、教育者自らが社会正義に反する行為を行ったという点において、罪深いものです。氷山の一角であるとか、昔からの慣習であるとの意見も聞かれますが、仮にそうであったとしても、この事件を契機に、公平性の確保に努めるべきと言えましょう。社会的腐敗は、放置してはならないのです。

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