時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

神経科学が自己中心主義を擁護する?

 近年、自己の権利ばかりを主張する”モンスター”の部類や、カルト宗教に洗脳された全体主義集団の跋扈など、すっかり魑魅魍魎が徘徊するご時世となりました。現代という時代にありながら、まさに、百鬼夜行の如くなのですが、この現象、意外や意外、学問の世界が加担している可能性があるのです。

 本日の日経新聞の「経済教室」欄で、「神経科学の応用 慎重に」という記事が掲載されていました(松島斉東大教授)。この記事によりますと、経済学にあっても、急進的な神経経済学者が、選択の自由と制度設計を掲げる主流派の伝統経済学と対立していると言います。さて、この神経経済学なるもの、どうやら、脳のデータから快楽の指標を割り出して、それに基づいて、本人の行動や制度を構築しようとするものらしいのです。一見、時代の最先端をゆくアプローチのように見えますが、実は、この手法、18世紀後半から19世紀初頭に登場したベンサム功利主義と基本的には同じなのです。

 そうして、ここで問題となっているのは、ベンサムの時代にも議論されたように、個人の主観的な快楽を指標とすることの弊害です。何故ならば、自己の主観的な”快楽”の追及が利己に働いて、他者の自由や権利を顧みない場合もありますし(モンスターの登場・・・)、また、本記事でも指摘があったように、パターナリズム、つまり、他者に依存することによる快楽が、全体主義を生む可能性さえあるのです。

 全ての学問には、その学問に適した領域があり、そこから不用意に外に踏み出すと、思わぬ災いを招くことがあります。神経科学も、経済、政治、社会、宗教の領域において用いられると、人の心の部分に破壊的な作用を及ぼすこともありますので、現代に生きる人々は、くれぐれも用心しなければならないと思うのです。

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