時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

満州はパンドラの箱?

 本日、ロシアと中国との間で、大ウスリー島などの国境線を画定する合意文書が署名されたとする報道が伝えられました。北方領土竹島など、領土問題に関する話題が注目を集める中、この合意は、中国の複雑で不安的な領土拡張の歴史の一端を覗かせている、とも言えそうです。

 何故ならば、今回合意された国境線は、正確に言えば、ロシアと満州との境界線であるからです。ロシアが、極東地方に進出したのは19世紀のことであり、当時、中国では、満州女真族による清朝が成立していました。1858年に、ロシアとの間に結ばれたアイグン条約は、満州を故地とする清朝との間に締結されたのであり、それは、同時に、満州とロシアとの国境線を定める条約であったわけです。ところが、1911年に辛亥革命が起こり、女真族支配の清朝が滅亡すると、ここで、一つの問題が持ち上がることになります。それは、満州は誰のものか、あるいは、どの民族のものか、という問題です。その後、日本国が、満州皇帝溥儀を担いで満州国を建国するという展開に至り、国際的な批判を浴びることになるのですが、一方、中華民国や現在の中華人民共和国に正当な領有権があるのか、と言いますと、そうとも言い切れない側面があります(満州は、万里の長城の外側・・・)。満州は、女真族の土地であったのですから。

 中国政府が、この問題に触れようとはしないのは、満州の歴史が、中国にとって、パンドラの箱であるからなのかもしれません。

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