時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

単一民族を形成するにも苦労があった

 国交省の大臣職を辞すことになった中山大臣の発言の中で、”単一民族”という言葉も非難の対象となりました。そこで、今日は、”単一民族”という言葉について、考えてみたいと思います。

 しばしば、日本人は、単一民族ではない証拠として、縄文人弥生人の違いが挙げられ、最近では、南方系、北方系、華南系…など、系譜の異なる諸部族が日本列島に渡来したとも言われています。生物学的には、日本人は均質の遺伝子配列を持つ人間集団ではないのかもしれません。しかしながら、何故にか、今日、日本人は、単一民族と称されるようになっているのです。

 その理由は、むしろ、文化・社会的な側面における統合が強かったからではないか、と思うのです。『古事記』や『日本書紀』といった歴史書をよく読みますと、そこには、日本統合の歴史が記されていることが分かります。『魏志倭人伝』では、我が国の古代は、百余国に分かれていたとされていますが、古代にあって日本国は、相互に合併や吸収(征服も…)を繰り返しながら、国家を形成したらしいのです(国生み、高天原と芦原中津国、出雲の国譲り…)。最終的に、祭祀を統合する形で皇祖神を含めた神々の系譜が形作られたのでしょう。その後、元がばらばらな国であったために、内乱や内紛が発生したりもしますが、2000年を超える年月をかけて、言語をはじめ、同様の慣習や伝統を持つ民族というものが出来上がったのです。もしかしますと、日本人が、情よりも合理性やルールに拘るのも、もとは多様性があったことの反証であるかもしれません。

 海に囲まれた島国であったことも幸いしたのでしょうが、先人たちの苦労や努力がなければ、日本国の統合は為し得なかったことでしょう。このことを考えますと、単一民族という言葉には、評価すべき点もあるのではないか、と思うのです。

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