時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

日本国政府はチベット占領を”侵略”と認定すべき

 政府は、田母神元空自幕僚長を政府の公式見解と異なる論文を書いたとして更迭しました。村山談話では、先の戦争を”侵略戦争”と認定しておりますので、”侵略戦争”とは言えない、という田母神氏の主張が問題視されたのです。

 田母神氏が”侵略戦争”ではないことの根拠として挙げたことは、相手国との間に条約を締結し、合法的な行為であったことです。1897年に発生した義和団事件に対して、当時の列強八か国は共同出兵を行い、1901年に北京議定書を締結しました。この議定書によって、日本軍も、中国における駐留権を獲得したのです。また、満州支配も、ポーツマス条約によって、ロシアから鉄道付属地制度(露清密約に基づく)と呼ばれた行政制度を引き継いだものでした。さらに満州国とて、女真族民族自決権に基づく建国として理解することもできます。加えて、柳条溝事件や盧溝橋事件が、ソ連コミンテルンの陰謀とすれば、日本国の行為を”侵略”と認定することは、さらに難しくなりましょう。このように、田母神論文は、当時の国際法上の”合法性”を基準として”侵略”ではないと主張しているのです。

 一方、連合国側は、第二次世界大戦にあって、枢軸国側の侵略行為を罰することを大儀に掲げて戦争を遂行しました。この結果、日本国の戦前の行為は、戦後の戦争裁判で”侵略”と認定されることになります。言わば、事後法によって、裁かれたことになります(通常、事後法の遡及的適用は禁じられている・・・)。そうして、もう一つ、戦後の国際社会に大きな変化があったとしますと、国連の発足とともに、国家の行動規範がより明確になり、将来においても”侵略”が起きないよう、国際法が強化されたことです。つまり、戦後の時代にあって、戦前の日本国のような行動をとると、他国の主権や領域を侵害し、他民族を支配する行為として、”侵略”と見做されることになるのです。

 それでは、中国のチベット占領は、侵略に当たるのでしょうか。中国は、チベットとの間に、1951年4月に締結した「17条協定」で、人民解放軍チベット駐留の承認を受けているとして、合法性があると主張するかもしれません(もちろん、「条約法に関するウィーン条約」にも違反・・・)。しかしながら、軍事力で脅迫し、人民解放軍を常駐させ、弾圧を加えて既存の政府を亡命させ、しかも伝統や文化を破壊したとなれば、これは、侵略行為以外の何物でもありません。日本国の場合には、事後法で”侵略”認定を受けたため、当時の複雑な状況を勘案すれば田母神論文に見られるような弁明も成り立ちますが、これとは比較にならないほど明確に、中国の行為は、戦後の国際法において”侵略”に該当することになるのです。

 日本国政府には、中国に対してチベットの占領と支配こそ、紛れもない”侵略行為”であると声を大きくして宣言していただきたいと思うのです。過ぎ去った過去よりも、現在起きている侵略行為にこそ、立ち向かわなければならないのですから。

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