時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

侵略の断定は難しい

 田母神前航空幕僚長の論文は、先の大戦は、日本国の侵略戦争であったのか、という重大な問題を提起しました。村山談話において、侵略戦争であったとする見解が示されたため、政府見解との不一致が咎められたのですが、この問題を検証するに当たっては、少なくとも以下の各点を吟味すべきであると思うのです。

1.大戦当時において有効であった国際法に対する違法行為があったのか。
2.武力の先制は、交戦国のどちら側であったのか(挑発の事実を含めて・・・)。
3.宣戦布告はあったのか。
4.武力の行使は、一方的であったのか。
5.紛争地には、唯一の正当な政府が成立していたのか。
6.紛争地は、民族自決の原則に合致していたのか。
7.国際連盟による正式な侵略認定があったのか。あるいは、開戦当時、両国とも、国際連盟の加盟国であったのか。
8.領土の一方的な武力占領や併合はあったのか。あるいは、その計画はあったのか。
9.コミンテルンによる陰謀や内部工作はあったのか。
10.政府は、軍部をコントロールできたのか。
などなど・・・

 村山談話において、以上の諸点が充分に検証されたとは言い難く、現在でも、全ての資料が公開されているわけでもありませんし、混乱の中で散逸してしまった記録もありましょう。自国の軍隊が、外国の領域で戦った事実のみでは、侵略行為とはならないのです。結論を出すには早過ぎますし、そもそも、政府が特定の歴史観を認定する行為が適切であるのかさえ、十分に議論はなされていないのです。

 現在においても、侵略の定義は難しく、国連総会の決議として採択された「侵略の定義に関する決議」でさえ、1974年に採択されたに過ぎません(遡及効はない・・・)。この決議においてさえ、侵略認定の基準が複数あり(双方の武力行使がある場合、双方が相手を侵略と非難できることも・・・)、かつ、民族自決に関する留保を置いています。ナチス・ドイツソ連ポーランド侵攻、中国のチベット併合、イラククウェート侵攻といった、ある国が、一方的に国境を越えた武力攻撃と占領を行った場合以外にあって、侵略認定することは、現在でも極めて難しいのです。しかも、国連安保理の侵略認定を要するとなりますと、さらに、侵略の範囲は狭められてしまいます。

 侵略の認定を可能であるためには、まずは、誰もが納得する国境線が引かれていなくてはならない(民族自決を考慮して)、という大前提があると思うのです。いわば、侵略が、国際社会の”犯罪行為”となるには、所有権が明確になっていなくてはならないのです。20世紀にあっては、この条件は整っておらず、現在でも、まだ十分ではありません。しかしながら、少なくとも、多くの犠牲を払って、人類は、侵略行為とは何かを学んできたのですから、先の大戦を日本国の侵略戦争と決めつける一方で、より明確な侵略であるチベット併合は咎めないとなれば、これこそ、日本国も国際社会も、歴史を生かしていないことになるのではないでしょうか。

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