時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

国籍法改正案と認知の問題点

 国籍法改正案が、まだまだ議論を要する問題であることは、認知の制度からも指摘することができます。それは、DNA鑑定の要件化に関わる問題でもあり、また、親子とは何か、という根本的な問題にも関わります。

 本問題が持ち上がってから、認知について、”意思主義”なる主張を聴くようになりました。それは、生物学的な親子関係がなくとも、父親が子であると認めれば、”認知”が成立するという考え方です。Wiki e-politicshttp://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/12.html)においても、認知は意思主義と説明されており、最高裁の判例(平成18年07月07最高裁判所第二小法廷 )を挙げて、”血統主義・真実主義は学説でもほとんど皆無”とまで述べています。しかしながら、つい最近までは、認知とは、自然血縁尊重を原則としており、生物学上の親子関係においてのみ、法的な効力を附与するものとして説明されてきたはずです。民法第786条における認知に対する反対の事実の主張も、この自然血縁尊重の原則あっての条文となりますし、養子縁組の制度との整合性もつかなくなります。

 もし、近年の判例が示すように意思主義を原則とするならば、当然に、”偽装認知”なるものは存在しなくなり、全ての認知が合法性を持つことになるのですから、改正案に設けられている虚偽の届け出に対する罰則も意味がなくなります。もちろん、DNA鑑定も不要となります。つまり、多くの国民が懸念するように、無制限に血統的に繋がりのない”日本人”が大量に出現する可能性が極めて高くなるのです。

 この点を考慮しますと、認知する父親の扶養義務や子の入籍など、認知要件を厳しくすることでしか、認知ビジネスを防ぐ方法はなさそうです(認知とは別に、国籍付与の要件としてはDNA鑑定はないよりはある方がよい・・・)。この問題は、そもそも、国民の合意なくして認知に”意思主義”を採用するようになったことにも原因があります。認知に関しては、まず、この意思主義を明確に否定する必要があるのではないでしょうか。

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