時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

開かれた皇室―開いた扉を閉められない

 最近、雑誌などにおいて、皇室の記事を多く目にするようになりました。かつては、皇室の微笑ましいエピソードを書いた記事が並んだものですが、最近では、皇室の危機を伝える内容が多くなっているように見受けられます。その原因は何か、と考えました時に、”開かれた皇室”の問題があるのではないか、と思うのです。

 何故ならば、開かれた皇室路線を一旦選択してしまいますと、その扉を再び閉めることが、極めて難しくなるからです。開かれた皇室については、明確な定義があるわけではありませんが、この言葉には、1)皇族の配偶者を民間から選ぶ、2)皇室の情報を公開する、3)皇室の祭祀を公にする、といった意味が含まれていそうです。3)の祭祀につきましては、ここでは語らないとしても、1)と2)のあり方に問題があると、国民の間に皇室不信が広がり、皇室そのものを揺るがしかねない状況が生じると思われるのです。今上天皇は、1)と2)とを共に実践され、国民に理想的な家族像を披露することによって、国民の信頼を得るという方法を選ばれました。マイホーム型のあり方に疑問をもつ意見もありますが、少なくとも、国民の間から著しい信頼の低下を招くことはありませんでした。一方、東宮は、と申しますと、皇室の危機は、東宮問題に発していると言われるように、現在、国民からの信頼を失いつつあります。それは、東宮の私的な選択権として1)を行使しながら、2)の方を疎かにしたからと思われるのです。つまり、国民は、東宮外戚について十分な情報がない一方で(バックアップしている組織?出自?・・・)、悪しき行状の噂や未確認の情報ばかりが流布しているのです。これでは、国民の多くが、皇室を信頼しなくなっても仕方がありません。

 それでは、この信頼性の喪失と皇室のイメージダウンを防ぐために、再び、閉じられた皇室に戻せばよいのでしょうか。ことは、そう簡単ではなさそうです。情報化時代にあっては、再度、扉を閉じるとなりますと、情報の隠蔽とみなされますので、余計に信頼喪失に拍車をかける結果となりかねないのです。一度開いた扉を閉じることができないのです。むしろ、すべての情報を洗いざらいに公開した方が、信頼性の観点からは、まだ、”まし”であるかもしれないのです。

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