時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

開かれた皇室―情報公開と信頼性

 昨日に続き、開かれた皇室問題について、しばし、考えてみようと思います。昨日は、”開かれた皇室”という状況の中で、皇室が国民から信頼を得るためには、1)皇族が民間から配偶者を選ぶ、2)皇室の情報を公開する、という二つの要件を同時に充たす必要があるのではないか、と申しました。それでは、何故、この二つの要件を満たす必要があるのでしょうか。

 人間とは、他の人や制度に信頼を寄せるに当たっては、必ず、その判断となる材料や根拠を求めるものです。閉じられた皇室、つまり、1)皇族が、皇族や決められた家々から配偶者を選び、2)皇室の情報は非公開としていた時代には、国民は、もとより皇族のメンバーや外戚について歴史を通してよく知っており、情報公開を求める必要はありませんでした。五摂家の祖である藤原氏もまた、中臣氏ですので、神話の時代に祖である天児屋根の命は既に登場しています。しかしながら、皇族が選ぶ配偶者の範囲が民間まで拡大するとなりますと、国民は、皇族が選んだ人物が誰であるのか、充分に知ることができません。もしかしますと、特定の宗教団体のメンバーであるかもしれませんし、あるいは、外国のバックが付いているかもしれませんし、もしかしますと、偽装日本人、あるいは、工作員である可能性も否定できなくなります。配偶者の選択は、全く皇族の個人的な専権事項となりますと、当然に、このような事態はあり得るのです。

 しかも、誰でも皇族の配偶者になれる、という路線が確定してしまいますと、このチャンスを利用しようとする勢力が現われてもおかしくはありません。しかも、選ばれた人物や外戚の評判がよくない一方で、情報を公開しない、あるいは、偽りの情報を流すとなりますと、特定の勢力との癒着の疑いが生じ、最悪の場合には、国民は、”国家乗っ取り”まで心配しなくてはならなくなります。天皇が、国家と国民の統合の象徴であることを考えますと、その基盤が失われることは、言うまでもありません。正確な情報を国民に伝え、自らの中立性を証明しませんと、東宮家に対する不信は深まるばかりと思うのです。

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