時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

天安門事件の再評価―中国は民主主義を否定できるのか

 20年前の今日この日、中国の天安門広場において、民主化を求める学生運動家の方々の多くが人民解放軍の無慈悲な銃撃を受け、無残にも命を落とされることになりました。本日、中国政府の報道官は、記者会見において天安門事件の再評価を否定し、この発言に、内外では失望感が広がっているようです。

 中国政府は、民主化の否定が、現代という時代にあって、何を意味しているのかよく理解していないのかもしれません。今日地球上に存在する国のほとんどは、民主主義の価値観を取り入れ、それを制度化することによって、統治権力を国民のものとしてきました。民主化を果たすために、多くの国民の犠牲が払われたり、忍耐とたゆまぬ努力の末にようやく獲得した国も少なくありません。もちろん、どの国の制度にも不完全な点や欠陥はありますが、少なくとも、今日では、民主主義は人類の普遍的な価値の一つとして見なされるに至ったのです。この歴史の流れを振り返りますと、中国政府の民主化の否定とは、民主主義という価値観に対する重大な挑戦とも見なされ兼ねません。

 民主化運動に参加した学生の方々は、国民を不幸にしようとしたり、また、自己の利益のみを求めて抗議行動を起こしたのではありませんでした。むしろ、国民の幸福を思い、制度改革を通して国家の発展を促そうとしたのです。他の国の人々と同様に、天安門広場に集まった人々もまた、民主主義に国の将来を託したのです。中国政府は、天安門事件で弾圧した人々の真摯なる願いを理解し、その名誉を回復しなければ、中国国民のみならず、国際社会からも信頼を失うのではないかと思うのです。

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