時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

臓器移植の功罪

 昨日、衆議院で可決された臓器移植法A案は、小児の臓器移植への道を開くとして、移植を待つお子さんをもつ親御さんにとりましては、望ましい結果であったかもしれません。その一方で、人が人の命を扱う以上、誰の心も、生涯にわたって重荷を背負うことになるのではないかと思うのです。

 移植を受ける側にとりましては、他者の命の上に自己の命があるという癒しがたい重荷を背負います。また、臓器移植は最近の技術ですので、臓器移植がその後の健康や寿命に与える影響は、まだ充分には分かっておらず、それが幼い子の心臓移植であるならば、死と向き合う人生を強いることを意味するかもしれません。

 臓器を提供する側もまた、提供者が子供である場合には、親の一存で子供の命を断つことになりますので、たとえ他者の命を助ける行為であったとしても、悔いが残るかもしれません。しかも、幼少期ほどに脳が回復する望みもありますので、この決断は想像以上に苦しいものとなります。

 さらに脳死を判定する医療側にとりましても、正しい判定であったのかのか、悩むこともあるかもしれません。極めて少数ながらも、脳死と判定された方が、意識を回復する事例もあると言います。

 臓器移植は、たとえ善意に基づいたものであったとしても、それに関わる全ての人々に生と死の問題を突きつけ、結果の良し悪しは、容易に見通せるものでもありません。臓器移植法改定については、臓器移植にともなう倫理上の葛藤に心を配り、より慎重に審議すべきではないかと思うのです。

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