時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

空しい温暖化ガス削減努力

 人間とは、自らの苦労が実を結び、その成果を実感してこそ、努力のし甲斐があるというものです。しかしながら、こと温暖化ガス削減に関しては、払った犠牲の大きさにも拘わらず、空しい努力となる可能性があるのです。

 一時期よりも地球温暖化現象については、危機感を煽る報道は少なくなってきていますが、本当のところは、誰もが、温暖化ガスが原因であることに確信を持てないでいます。つまり、行き先不明であり、最悪の場合には、多大な財政負担を負い、削減努力を続けて目標の25%削減を達成したとしても、全く変化がないか、地球の温暖化が止まらないか、あるいは逆に、寒冷化に苦しむというシナリオもあり得るのです。誰もが、その効果を実感できないかもしれません。さらに厄介なことに、温暖化ガスが本当は地球温暖化とは無関係であったとしても、何かしらの理由が付けられて、削減義務が正当化されてしまうという可能性もあります。他に真犯人が特定されない限り、常に温暖化ガスが、犯人と見なされてしまうのです。

 温暖化ガスは犯人ではないかも知れない、と疑いを提起しても、それが立証されない限り、政治サイドでは、誰も真剣に耳を傾けようとはしませんし、こうした声は無視されてしまいます。この場合、”疑わしきは罰する”の態度なのです。もし、空しい結果を避けるならば、目的を、エネルギー効率の向上や地球環境の保全などに転換し、かつ、排出量取引といった怪しい取引はやめるべきと思うのです。

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