時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

対日謝罪要求―恨みを忘れないことは良いことなのか

 中国、韓国、北朝鮮といった諸国は、菅談話の謝罪でも不満なようあり、国内でも、ドイツと比較して謝罪が足りないとする声があります。ナチス・ドイツユダヤ人のホロコーストを行いましたので、日本国とは、同列に論じることはできないのですが、それにしましても、恨みを忘れないということは、本当に、良いことなのでしょうか。

 歴史を振り返りますと、中国は周辺諸国に対して侵略を繰り返し、多大な被害を与えてきました。チベットウイグルでは、未だに弾圧が続いています。元寇に際しては、高麗も合流して日本国に一方的に攻撃をしかけ、対馬壱岐では、日本人住民の多くが虐殺され、手のひらに綱を通されて、元高麗軍の軍船に連行されたそうです。また、戦後の混乱期には、在日韓国・朝鮮の人々が行った殺人、略奪、土地の不法占領などの残虐行為は、多くの日本人が実際に目にし、また、伝え聞いてもいます。恨みを忘れないということは、双方ともが、永遠に敵対し合うということなのです。

 日本人は、みそぎの文化が根付いてきたためにか、過去の恨みは水に流すという発想があります(日本国民の多くは、アメリカや連合国に対してもはや恨んではいない・・・)。一方、中国では、敵の子孫は永遠に敵ですし、韓国では、”恨”は、精神文化そのもののようです。恨みが謝罪要求の根拠であるならば、それは、未来永劫にわたって終わることはないと思うのです。

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