時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

竹島問題―”独島”が登場したのは1905年以降では

 竹島問題に関しては、ICJへの提訴が視野に入ってきたことで、歴史的、並びに、法的根拠に関する両国の議論も盛んになってきましたが、韓国側の主張には、一つ、明らかにおかしいと思う点があるのです。それは、島の名称です。

 欧米の測量ミスにより、ダジュレー島、アルゴノート島、リャンクール島(現在の竹島)の位置関係が混乱した時期もありますが、日本国の場合には、江戸時代に鬱陵島竹島、現在の竹島は松島と呼称してきたところを、明治時代に閣議決定で島名を変更したことは、史料によって歴史的に跡付けることができます。「隠岐の松島」として記載されている地誌や地図もあり、江戸時代を通して日本国領として認識されていたことが分かるのです。一方、韓国は、と申しますと、”独島”という島名が登場してくるのは、日本国政府が、島根県編入した1905年以降のことです。このことは、韓国側が、1906年以前に”独島”について記述したものとして提出してくる史料は、全て、島の名称が、”于山国”や”石島”といった別の名称であり、これらの島が、”独島”と一致することを証明できません。このことは、韓国側は、別の島と”独島”とを錯誤している、あるいは、意図的に両者を同一化している可能性を示しています。

 韓国側が、有力な証拠と見なしている「勅令四十一号(1900年)」でも、”石島”と記載されており(発音が似ているとしてきたが、既に論破されており、鬱陵島に隣接する観音島と推定される…)、大韓帝国の教科書としても使われた『大韓地誌』にも、東経130度35分が東の境界としています(竹島は東経131度52分)。韓国側が、鬱陵島よりもさらに遠い竹島を認識していなかったとみる方が自然なのです(『大韓地誌』には、もちろん、竹島は記載されていない…)。にも拘らず、韓国が、国際社会において、島名の不一致を隠して宣伝活動を行うとしますと、日本国側が、竹島を奪ったと誤認されかねないと思うのです(韓国の不法占拠が正当化されてしまう…)。

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