時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

維新の会の”維新”は昭和維新では

 国政への進出を目指すべく、大阪市長の橋下氏は、「日本維新の会」を発足させました。橋下氏が、坂本竜馬を尊敬し、「船中八策」にもじって「維新八作」の政策綱領を掲げたことから、一般的には、維新の会の”維新”は、明治維新であると考えられています。

 しかしながら、もしかしますと、維新の会の”維新”は、明治維新ではなく、昭和維新なのではないかと思うのです。明治維新昭和維新では、実のところ、目指す方向性に著しい違いがあります。明治維新の場合には、五カ条の御誓文で示されたように、”万機公論に決すべし”を基本方針としており、明治天皇を戴きながらも、衆議を重視していました(明治憲法の制定で正式に立憲君主制下の議会制へ…)。考えても見ますと、明治維新は、一人の絶対的な指導者の下で達成されたのではなく、日本全国の人々が、近代国家建設に向けて邁進したことによって成し遂げられたという特徴があります。一方、昭和維新の思想家たちは、議会制や政党政治を排し、文字取りの天皇親政を実現することを理想としていました。昭和維新の背景には、第一次世界大戦後の不況、農村の貧窮、政治家の腐敗、政党政治の機能不全、軍部の台頭など、様々な要因が絡まっていましたが、社会・共産主義の思想的な影響を受けつつ、昭和維新では、国家改造による全体主義体制の構築が構想されたのです(二・二六事件で挫折しつつも、戦時統制体制へ…)。

 維新の会は、社会・共産主義的であるとの指摘は、この集団が、昭和維新の流れにあると捉えますと、首肯できます。ナチスの正式名称が、国家社会主義党であるように、この時代には、極右も極左全体主義を共有しており、然したる違いはなかったのですから。橋下氏率いる維新の会は、図らずも、昭和維新という、”維新”のもう一つの側面を掘り返してしまったと思うのです。

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