時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

韓国批判-悪事に対する嫌悪感の表明は許される

 NHKを始めとするマスコミ各社が韓国偏重であるため、韓国批判の記事やニュースは、それほど報じられているわけではありません。その一方で、一般の日本国民の韓国に対する批判の声は強まっており、左派知識人や民団などは、これを”ヘイトスピーチ”と見なし、危機感を表明するに至っています。

 ”ヘイトスピーチ”は悪、とする先入観が植え付けられていますが、誰もが、嫌悪の感情は持ち合わせているものです。問題は、”何を嫌うのか”ということであり、例えば、ある民族の身体的特徴や固有の文化を、自分達とは違う、という理由だけで嫌い、それを相手に対する攻撃手段として使うとしますと、法律に違反するまでではないものの、マナー違反となります。例えば、韓国人がよく日本人を侮蔑して使うという”チョッパリ(下駄履きの風習を馬鹿にしているらしい…)”や”倭猿”などは(韓国のサッカー選手は、この件で、処分を受けている…)、明らかにヘイトスピーチです。一方、ある人物や国の行いが犯罪であったり、悪質である場合、嫌悪感の表明は、理由のある正当なものです。また、嫌いになるれっきとした理由がある以上、禁じるべきものとも思えません(さすがに、殺せ…は、刑法に反するので行き過ぎですが、犯罪者の本国への帰国を求めることは許されるのでは…)。良識や常識に照らした悪への嫌悪感の表明こそが、悪事を止める抑止力ともなるのですから。犯罪やマナーの悪さを嫌うのは、当然のことであり、”ヘイトスピーチ”を盾に圧力を掛けようとする左翼知識人や民団などは、単なる”言論弾圧者”に過ぎません。”ヘイトスピーチ”は、その内容こそ、問われるべきなのです。

 日本人は、事を荒立てたり、表立った批判を慎むことを美徳としてきましたので、これまで、ついつい、他国や他国民の非道な態度に目を瞑ってきました。しかしながら、倫理や法に反する行いに対しては、何も言わないと、悪が蔓延るばかりです。古来、日本人は、言うべき時には言う、勇気ある人々であったと思うのです。

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