時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

対馬厳原港祭り-韓国への気配りは自己喪失を招く

 1970年頃から、対馬の厳原では、日韓友好の掛け声の下で、伝統的な名称であった港祭りをアリラン祭に変更してきました。韓国への気配りの結果のようですが、日本国側の安易な譲歩は、自己喪失の危機を招くと思うのです。

 対馬で発生した韓国人窃盗団による仏像盗難事件と、それに続く、韓国の地方裁判所による近代国家とは思えない仮処分を契機に、友好を優先してきた対馬市でも、ようやく韓国に対する警戒感が高まり、朝鮮通信使の再現を目玉としてきた港祭り・アリラン祭は、中止となる見込みなそうです。現在では、港祭り・アリラン祭と併記されていますが、かつては、アリラン祭単独で呼ばれていたこともあり、いわば、日本国の伝統的な夏祭りが、韓国の祭典に塗り替えられていたのです。普段はあまり意識はされていませんが、”名”は、その所属を顕わす重要な標識です。人名や地名もまた、その国に固有の名称があり、人々は、人や土地の所属を先”名”で判別しています。近年に至り、韓国の地方自治体の議会が、対馬の領有権決議まで行うようになった背景には、対馬市の無防備、かつ、良心的な韓国への配慮があったのかもしれません。

 対馬の人々は、盗まれた仏像の返却拒否という事態が発生したことで、友好の看板に隠されてきた韓国側の野心に気付くことになったのですが、窃盗であれ、既成事実として手に入れたものは返さない、という韓国の国民性は、日本国側の譲歩が、自らの喪失を意味しかねないことを示しています。周辺諸国は、決して善良ではないのですから、日本国は、韓国側の犯罪や違法行為には厳しく対処すると共に、自国を護るという意識を高めてゆかなければならないと思うのです。

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