時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

日本軍は残虐だったのか-『日本書紀』が語る軍規

 今日、我が国は、中国や韓国のプロパガンダにより、”日本軍は残虐であった”とするイメージが、国際社会に植え付けられる危機に直面しております。しかしながら、日本の軍隊とは、それほど残虐であったのでしょうか。

 古今東西を問わず、戦場では、人間の残酷な一面が剥き出しになるものです。日本国では、早い時期から戦場における非人道的行為を憂いて、軍規を制定してきました。早くも『日本書紀』の神功皇后紀には、三韓征伐に赴くに際して、神功皇后が、以下の軍規(意訳ですが…)を制定されたする記述を見出すことができます。

 一.鉦鼓の音や軍旗が乱れるときは、軍卒も整わない。
 二.財宝を貪ったり、利己心に囚われれば、敵国の捕虜となる。
 三.敵の数が少なくとも、油断してはならない。
 四.強敵であっても、怖れてはならない。
 五.婦女に暴力を振うことは許されない。
 六.自ら降伏してきた者を殺してはならない。
 七.戦功を上げた者には、報奨を与えよ。
 八.敵前逃亡をしてはならない。

 神功皇后の時代とは、およそ3、4世紀の頃と推測されていますが、この時代に既に軍規が定められていることに驚きを感じると共に、日本人の残虐性を厭う気質を伺うことができます。近世の戦国時代にも、落城に際しては、婦女と子どもは城外に逃がすことが慣例となっておりました。先の大戦にあっても、大日本帝国皇軍として誇りを胸に出征していった日本軍が、規律と人道を重んじる古来の精神を失い、野蛮の極みに堕ちたとは思えないのです。

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