時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

オルドス式銅剣の発見-日本国と西域を結ぶミッシングリンク

 珍しくも、本日の新聞記事においては、考古学上の発見が大きく扱われておりました。滋賀県の上御殿遺跡から、オルドス式の銅剣の鋳型が発見されたという記事です。
 
 これまで、我が国への青銅器の伝播は、春秋時代遼寧式銅剣をモデルとする説が通説とされてきたようです(現在の中国遼寧省で、BC6・7世紀頃は燕の領域)。ところが、オルドス式の鋳型が発見されたことで、別ルートが存在していたと考えざるを得なくなったのです。オルドス式銅剣とは、現在の内モンゴル自治区華北で出土する銅剣のタイプであり、この別ルートについては、現在、中国領であることから、中国大陸経由として報じられてもいます。しかしながら、オルドス高原にモンゴル族が住みはじめたのは、明時代であることを考えますと、現在の中国人やモンゴル人ではなく、別の民族が、この方式を我が国に伝えたと推測されます。それでは、弥生時代の頃に、オルドスに勢力を張っていた民族は、と申しますと、月氏、東胡、匈奴契丹…、あるいは、スキタイなどを、候補として挙げることができます。これらの民族は、オルドス式青銅器文化の担い手でもあり、高い金属加工技術を誇ってもいました。

 オルドス式銅剣は、朝鮮半島では発見されておらず、日本国の文化の源流を考える上で、興味深いことは言うまでもないことです。ユーラシア大陸では、様々な民族が東西を行き来していますので、考古学的な発見物については、その当時のその場所に、どの民族が居住していたのかを判断基準としませんと、誤解を生むことになります。オルドス式でさえ、オルドス高原が発祥の地であるとも言い切れないのです。オルドス式銅剣の鋳型の発見は、むしろ、日本国と西域を結ぶミッシングリンクの一つかもしれないと思うのです。

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