時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

”反韓デモの群集心理”とは?

 本日の産経新聞に、哲学者の適菜収氏による”群れることの危険性”という一文が掲載されておりました。在特会による暴力事件などを取りあげ、普通の個人が群集心理に埋没することの危険性を、批判的な観点から論じておられました。

 普段ならば、氏の論説には首肯することろも多いのですが、今回の見解については、疑問がないわけではありません。暴力沙汰を起こした在特会のメンバーは、過去に政治活動を行ってきた経歴があるそうですので、個を失った群集の一人とも言い難く、また、群集が野蛮な行動に出る理由についても、何も触れていないからです。確かに、結果だけ見れば、”暴れる群集”なのでしょうが、その行動には、幾つかの原因があります。例えば、戦争や災害時における混乱に乗じて強奪を働くケース、悪徳な指導者に誘導されて野蛮化するケース、貧しさから不満が爆発して蜂起するケース、イデオロギーに染まって革命に参加するケースなどがあります。そして、もう一つ、犯罪や違法行為、あるいは、敵対的な行為に対して憤慨し、抗議するケースがあります。今日の反韓デモに関する群集心理を分析しますと、犯罪率が高く、日本人を苛めてきた在日韓国・朝鮮人に対する日本人一般の反感、つまり、正当な怒りがあるのではないかと思うのです(出身国の韓国や北朝鮮に対する批判も含めて…)。こうした場合には、”野蛮な群集心理”で片づけてしまいますと、どこか、バランスを欠いてしまうように思えます(もちろん、反韓デモ側が犯罪や違法行為を行った場合には、悪いものは悪く、非難は免れない…)。

 関東大震災における”朝鮮人虐殺”が、実のところは、暴徒に対する私刑であったように、事件が起きてしまう原因こそ掘り下げてみませんと、被害者の側を見捨て、擁護すべきでない人々を擁護してしまうことにもなりかねません。そして、”反韓デモの群集心理”、あるいは、反韓感情の群集心理とは、むしろ、デモに参加していない、そして、野蛮な行為に出ることもない、一般の国民の怒りの中にこそ、見出せるのではないかと思うのです。

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