時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

地獄の扉が開いた1991年-慰安婦問題の発端

 1991年10月、オランダのベアトリクス女王が、戦後初めて、オランダの元首として訪日しました。ようやく、両国間の第二次世界大戦における蟠りが解ける兆しとなる一方で、この訪日は、今になって考えてみますと、慰安婦問題の発端となったのではないかと思うのです。

 その理由は、ベアトリクス女王は、宮中晩餐会の席で「日本のオランダ人捕虜問題は、お国ではあまり知られていない歴史の一章です」と述べ、婉曲ながら賠償を要求したとされるからです。直接的な要求対象は、”捕虜問題”ですが、実は、日本国は、1956年3月にオランダとの間に、「私的請求権解決に関する議定書」を締結しており、戦争賠償ではないものの、準賠償として1000万ドルの見舞金を送っています。そして、その第3条には、「オランダ王国政府は、同政府またはオランダ国民が、第二次世界大戦の間に、日本国政府の機関がオランダ国民に与えた苦痛について、いかなる請求をも日本国政府に提起しないことを、確認する」と明記されているのです。この一文に照らしますと、ベアトリクス女王の発言は、協定に反するのですが、日本国政府は、その後、アジア女性基金を設立し、オランダ人女性を含めた戦争被害者に対し、「償い金」を支給するのです(オランダ人女性には2億5500万円…)。それでは、この時の外務事務次官は?と申しますと、実は、東宮の岳父に当たる小和田恒氏なのです(祖先は、朝鮮半島出身ではないかと疑う説も…)。

 ここに、東宮家、オランダ、韓国を結ぶラインが見え隠れするのですが、1991年を境に、韓国の対日要求が激化すると共に、慰安婦問題は、急速に”国際問題化”してゆきます。今日まで我が国を執拗に悩ます慰安婦問題の発端が、1991年の対応にあったとしますと、日本国は、外部の反日勢力のみならず、自国の国益を損ね、名誉をも傷つける内なる脅威を抱え込んでいることになると思うのです。

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