時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ヒッタイト帝国は3つの勢力から構成されていたことから‘トロイ’と称された’Troy’ Means the Empire Consisted of Three Racial Powers

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。

 前回の本ブログの記事にて、‘トロイの木馬伝説’とは、「秘かにヒッタイト帝国(トロイ)の首都・ハットゥシャに入り込んだフェニキア人によって海水、もしくは塩を撒かれたため、鉄製の武器や武具によって支えられていたヒッタイト帝国(トロイ)は、軍事力の無力化によって滅んでしまった」という故事から生じた伝説であるという仮説を提起させていただきました。では、どのようにして海洋系フェニキア人とギリシャ人の連合である‘海の民’は、秘かにその首都にまで入り込むことができたのでしょうか。

 その謎を解く鍵は、ヒッタイト帝国が、なぜギリシャ伝説では、‘トロイ’と称されるようになっていたのか、という点にあるのかもしれません。‘ヒッタイト’は、どのように訛っても‘トロイ’にはなりそうにありません。

 ‘トロイ’という名称が、英語ではthree、フランス語ではtrois、ドイツ語ではdriであって、数字の‘3’を意味することが示唆するように、ヒッタイト帝国は、諸民族の混成体であり、特に大きな3つの勢力から構成されていたと考えることができます。このようなヒッタイト帝国の構造的特徴から、ギリシャ人は、ヒッタイト帝国を、‘3勢力の連邦国’や‘三国同盟の国’という意味で、‘トロイ’称するようになっていたかもしれないのです。

 すなわち、‘トロイ’につきましては、固有名詞とは解釈せず、‘3’というその意味で解釈したほうがよいということになります。換言いたしますと、世に名高い‘トロイ戦争The Trojan War’は、‘三勢力による紛争 The War of Three Powers’として理解したほうが、よりその真相や構造がはっきりしてくることになるのです。

 事実、ヒッタイト帝国は、その末期においては深刻な内部分裂に悩まされていたようです。

(次回に続く)